第二章 おとながこまっています
斎藤は子供が苦手だ。奴らには理屈や道理が通じない。おまけに根拠のない万能感を持っていて、自分の要求は通されるべきものだと思っているのだ。だから斎藤は、子供には極力関わらないように心がけてきた。幸いなことに、こちらから近付かない限り、連中は斎藤には寄ってこない。奴らも奴らなりに、人を見ているのだろう。
だが、斎藤が子供を避けるように心がけていても、自ら子供に寄っていく連れがいてはどうしようもない。あんな生き物と関わろうなんて、どうかしている。
「沖田君、そのクソガキは君が何とかしなさい。君が助けたんだからね」
斎藤はにっこりと微笑んで沖田に言う。
やくざ者に絡まれていた子供を沖田が助けたまではよかったのだが、この子供がとんでもない曲者だった。可愛げも無い上に面倒な事情を抱えているらしく、関わり合ってしまったことを全力で後悔したくなるような相手だったのだ。こうなったら沖田に全部押し付けて、斎藤は退散したい。
「斎藤さん、今更ですけど、本性は隠し切ってください。“クソガキ”は駄目ですよ」
沖田に笑顔で突っ込まれてしまった。だが、気にすべきところはそこではないと斎藤は思う。
「じゃあ、そのお子様のことは沖田君に任せる。俺は知らん」
この子供にちょっかいをかけたのは沖田なのだ。斎藤は、妙なことになりそうだから止めておけと言った。斎藤の言うことを無視したのだから、この件は沖田だけで始末をつけるべきだ。
とか名乗った子供は、むっつりと黙り込んでいる。御庭番衆だといっていたが、仲間のところには帰りたくないとも言っていた。ひねくれた性格のようであるから、仲間と喧嘩をして飛び出したのだろう。
「冷たいなぁ。これも何かの縁なんですから」
無邪気な声でそう言いながら斎藤に近付くと、沖田はに聞こえないように小声で言う。
「本当に御庭番衆なら使えますよ。女ですしね」
「まだガキだぞ」
沖田が何を考えているのか、斎藤はすぐに理解した。
子供好きで、自身も子供のように無邪気に振舞いながら、沖田はたまに冷酷なことを言う。はまだ子供であるというのに、女であることを利用するつもりなのだ。斎藤は子供は嫌いだが、そこまではできない。
「とにかく仲間のところへ帰せ」
「本人は嫌がってますよ」
斎藤が睨むが、沖田は涼しい顔だ。
「子供にまともな判断ができるものか」
斎藤にも覚えがあるが、この年齢の子供は理由も無く周りに対して攻撃的になるものだ。が飛び出したのも、どうせくだらないことが原因だろう。一時の感情の勢いに任せて、その後の人生を狂わせるようなことをさせてはいけない。
沖田はしらけた顔をして、
「仲間のところに戻したって、どうせ同じことをやらされるんでしょう? それなら僕たちに協力してもらっても同じじゃないですか」
「女の隠密が、みんなそういう仕事だとは限らんと思うが」
「あの子はそういう子ですよ」
沖田はやけにきっぱりと言う。何を根拠にそう自信を持って言えるのか、斎藤には分からない。
斎藤はを見る。子供らしさの無い子供に見えるのは、沖田の言う通りの未来が待っていることに気付いているからなのだろうか。
「おい」
斎藤はに声をかける。
「今日のところは帰れ」
「やだ」
斎藤の気も知らないで、は即答する。だから子供は嫌いなのだ。
「お前が帰ってくれないと、俺も帰れないんだよ」
「私が帰ったら、翁が困るわ」
翁というのはの保護者なのだろう。よく分からないけれど、やはり面倒な事情を抱えているらしい。
の事情はともかくとして、子供は保護者の許へ帰すのが一番だ。子供が家に帰りたくないと言うのは、成長過程ではよくあることである。
「僕たちのところへ来るにしても、お庭番の偉い人と話さないと。勝手に連れて帰ったら誘拐になって、余計ややこしいことになるよ」
「………………」
沖田の説得に、は少し考え込むような顔をする。斎藤の言葉にはすぐに反発するくせに、沖田の言葉には耳を貸すというのが気に入らない。
しかし、が家に帰る気になったのなら良しとしよう。これで斎藤も帰れるというわけだ。
沖田の企みは賛成できるものではないけれど、ここは全て彼に任せることにした。が何と言おうと、翁とやらが今日まで育て上げた隠密を手放すはずがない。は御庭番衆に帰り、二度と斎藤と会うことはないというわけだ。
「じゃあ、俺は先に帰る。あとは頼んだぞ」
そう言って立ち上がろうとした斎藤の腕を沖田はがしっと掴む。
「何、他人事みたいな顔してるんですか。斎藤さんも一緒に行きますよ」
「子供の相手も口も君の方が巧い。俺がついていく必要は無いだろう」
「これも何かの縁です。行きましょう」
答えになっていないことを言うと、沖田は斎藤の腕を引っ張った。
本当なら今頃、蕎麦屋で一杯やっているか、帰って部屋でごろごろしていたはずである。それが、子供と縁側に座っているのだから、せっかくの非番が台無しだ。
京都御庭番衆は、表向きは『葵屋』という料亭兼旅館という形をとっている。料亭のくせに茶の一つも出さないなんて、が嫌われているのか、斎藤が招かれざる客なのか。
「斎藤さんは翁のところに行かなくてもいいの?」
隣に座るは、とても迷惑そうだ。斎藤だって迷惑している。
「ああいう話は苦手だ。子供の相手はもっと苦手なんだが」
「此処にいる意味無いじゃない」
実に率直な意見である。率直過ぎて、辛辣ですらある。
に言われなくても、そのことについては斎藤が一番よく分かっている。だから先に帰ると言ったのだ。それを引き止めたのは沖田なのだから、文句があるなら彼に言ってもらいたい。
斎藤は話題を変えた。
「此処の生活は嫌かもしれないが、俺たちのところに来ても良いことは無いぞ」
此処ではない場所に行けばきっと変わる、というのは誰でも一度は思うことだ。斎藤も昔はそう思っていたものである。けれど、本当に変われる者など一握りもいない。
は此処が最悪の場所だと思っているだろうが、新選組に来たらもっと最悪なことになるだろう。きっと後悔することになる。可愛げも子供らしさも無いけれど、まだ子供のにそんな思いはさせられない。
子供は苦手なはずなのに、子供の心配をするなんて、我ながらどうかしている。気にするからあれこれ気を揉むのであって、気にしなければいいのだ。仮にが新選組に来ることになったとしても、斎藤はこれまでと変わらぬ生活を貫けばすむ。
とはいえ、斎藤も人の心を持っている。どこまで無関心を貫けるかが問題だ。
「お待たせしました」
憂鬱な斎藤とは対照的に、沖田が清々しい顔で現れた。御庭番衆がを手放す方向で話が纏まったのだろう。
「あとは近藤さんと土方さんに話を通すだけだから。すぐに迎えに来るからね」
「うん!」
優しく言う沖田の言葉に、は子供らしく元気よく返事する。斎藤の前とは別人のようだ。
は沖田のことを、自分を最悪な現状から救い出してくれる人間だと信じている。本当にそうであれば問題ないのだが―――――
これからの展開を考えると、斎藤は鉛を飲み込んだように胃の辺りが重くなった。
「あの子、思った以上に面倒な事情を抱えていたようです」
帰り道、沖田が突然言った。
「事情?」
「詳しいことは言いませんでしたけどね、あの翁さんの口ぶりがどうも………。まあ、僕たちには関係ないですけど」
「こっちに来るなら関係あるだろ」
何故そんな大事なことを聞いておかないのか。“面倒”の内容によっては、斎藤たちまで巻き込まれてしまうかもしれないではないか。
子供とはいえ女を預かるだけでも問題が起こりそうなのに、更に面倒を抱えた人間を入れるなんて危険すぎる。近藤も土方も反対するだろう。
「問題児だらけなんだから、気にすることなんかないですよ。斎藤さんだって、昔のことは他人には言えないでしょ?」
「〜〜〜〜〜〜」
そこを言われると、斎藤も弱い。だが、斎藤とは違うのだ。は、新選組にいけば今より良くなると信じている。それは違うと教えておかなければ、騙しているのと同じではないか。
斎藤の考えを察して、沖田はからかうように言う。
「斎藤さん、意外と子供に優しいんですね」
「そういうわけじゃない」
斎藤の子供嫌いは変わらない。ただ、人としてどうなのかと思うのだ。
斎藤はむっつりと黙り込んだ。