第二章  偽宮

 京女は結束が固いというか排他的というか、のつけ入る隙が無い。お末に至るまで頑なに御所言葉を使って、には何を言っているかさっぱりだ。そして二言目には京とのものを懐かしがり、関東のものの不満を言う。“関東”という共通の敵を作ることで、結束を固めているのではないかと思うほどだ。
 手近なお末から手懐けて和宮に近付こうと思っていたが、これは無理だ。御所の教育というか洗脳は徹底している。
 となると、隠密らしく潜入しかない。幸い、京の連中には占い師はいても、隠密は連れていないようだから、これは楽勝だった。
 屋根裏から垣間見る宮様の生活というのは退屈そのもので、よく正気でいられるものだと感心する。一日中、几帳の陰に座っているのだ。たまに移動する時は、やれ方角が悪いだの、縁起がどうだのと占い任せ。御所の人間は迷信深いとは聞いていたが、食事から何から占いや迷信に支配されているとは思わなかった。
 こんな生活を続けていたら、ならきっと気が触れる。旅のと中で消えた五体満足の和宮は、ひょっとしてこの生活に嫌気がさして逃げたのかもしれない。
 ただ、観察を続けて解ったことは、蒼紫の言う通り、偽宮はそれなりの育ちの女だということだ。食事風景にしても、その振る舞いにしても、ある程度の教育を受けている。ただしそれは、御所風のものではないようだが。
 歩き方、裾の捌き方は、宮と観行院や嗣子とは微妙に違う。宮は真似ているつもりのようだが、どことなく馴染んでいないのだ。多分、最近になって身に付けた所作なのだろう。やはり和宮は偽者だったのだと、は確信した。
 偽者なら、入れ替わりは東下の最中に行われたのだろう。どの辺りで行われたかは判らないが、偽者は関東の人間なのかもしれない。関東の女なら、訳の分からない言葉を使い、不満ばかり言う京女たちよりは手懐けやすそうだ。
 問題は、どうやって偽宮に近付くかである。いつも観行院と嗣子が張り付いていて、が近付ける隙が無い。あるとすれば、将軍のお渡りの無い夜だけか。
 寝所に忍び込むのはわけないが、いきなり忍び込んで偽宮に騒がれるのは困る。ということは、何か根回しをしておくべきか。
 退屈しているであろう偽宮に、何か持って行ってやるという手もある。物で釣って情報を引き出すというのは、よくある手だ。
 しかし、には若い娘が好みそうな物がさっぱり判らない。装飾品も食べ物も、贅の限りを尽くした物が献上されているはずだ。そういうものは、には手が出せない。
 折角つけ入る隙が見付かったというのに、これは困った。は天井裏で考え込んだ。





 子供のいない女は、ある程度の歳になると決まって愛玩動物を手元に置くようだ。大奥にも小さな犬や猫を飼っている中臈は多い。天樟院も三毛猫の“さと姫”を飼っている。子供という愛の対象の不在を、小動物で紛らわしているのだろう。
 そうだとしても、天樟院のさと姫に対する愛情は少々度を超していると思う。常に側に置いていたり、他の猫より飛び抜けて賢いと褒めそやすのは良いとして、姿が見えなくなると大奥総出で捜索というのは如何なものか。先日など、大奥の外に出たのではないかと、男たちを巻き込んでの大捜索だった。
 そして今、はそのさと姫を捜している。正確には、捜すふりをして宮の部屋に入り込もうとしている。
「一寸大人しくしててよ………」
 袿の中でもぞもぞしているさと姫を押さえつけて、は囁いた。
 さと姫を盗み出したことが知れれば天樟院の逆鱗に触れるだろうが、これも偽宮に近付くため、ひいては蒼紫のためと思えば、どうということはなかった。巧く盗み出す自信はあったし、どうせ猫は喋れない。一寸拝借しても、どうにでも誤魔化せる。
 天樟院が賢いと自慢するだけあって、さと姫は気性の大人しい、従順な猫だ。上等な餌を貰っているせいか毛はつやつやしていて、姿も良い。大奥の中で一番上等な猫だろう。偽宮が猫好きかは判らないが、嫌いでなければ気に入るに違いない。
 宮の部屋に近付いたところで、はさと姫を放した。
「あの部屋に行くのよ」
 が小声で指示するが、さと姫は困ったように足元をうろうろするだけだ。賢いとはいっても、猫は犬のように言うことを聞かないらしい。
「ほら、行きなさいってば」
 はさと姫の体を押す。
 さと姫は嫌そうに小さく鳴いたが、ゆっくりと宮の部屋に向かった。あとは、上手く宮に近付ければ成功である。
 あまり気乗りしない様子ながらも、さと姫は宮の部屋に入っていく。
「いやぁ、猫」
 驚いたような女の声が聞こえた。おそらく観行院の声だろう。あの女は、喉を震わせるような変な声の出し方をする。
「天樟院さんの猫ですやろ。あっちお行き」
 これは嗣子の声だ。何とも忌々しげである。関東のものは猫も気に入らないのだろう。
 出てくるな、とは念を送る。さと姫には几帳の中に入って、偽宮に気に入って貰わなければならないのだ。
 の念が通じたのか、さと姫は出てこない。暫くして、今度は悲鳴が聞こえた。
「いやあ、出てお行き」
「宮さん、お放しやす」
 悲鳴というには小さな声だが、小声で話すことが常の彼女たちにしては大きな声だ。
 あの様子だと、上手く几帳の中に入り込んで、宮にも気に入られたのだろう。与えられた任務をきちんと果たすなんて、猫にしては上出来だ。さと姫は、本当に賢い猫なのかもしれない。
 慌ただしい衣擦れの音がする。几帳の中で猫を追い回しているのか。
「やめてください。怖がってます」
 京女のゆったりとした喋り方とは明らかに違う、ぴんと張ったような若い女の声がした。これが偽宮の声か。京女と変わらぬ話し方をするという噂だったが、三人だけということで隙が出たのだろう。
 少し間を置いて、は早足で宮の部屋に向かう。
「お許しくださいませ」
 鋭い声でそう言うが早いか、は部屋に駆け込んで、几帳をめくり上げた。
 三人の女が、驚愕の表情でを見上げる。偽宮は知らないが、観行院と嗣子にとっては、これまで受けたことの無い狼藉だろう。
 さと姫を抱いている若い女の顔を、はじっくりと見た。
 雛人形のようなちんまりとした顔の観行院とは似ても似つかない、はっきりとした顔立ちだ。公家顔とは全く違う。何処かで調達した女であることは明らかだ。
 我に返った嗣子が、慌てて偽宮の顔を隠す。
「何と無礼な………。武辺の女子は礼儀も教わらんのか」
「ああ、恐ろしいこと。こんなところにやられて、宮さんも不憫や。こんな目ぇに遭わされて」
 宮がどんな表情をしているのか見えないが、女二人の嘆きようはただ事ではない。待ってましたとばかりに不満をぶつけているようだ。
 と、さと姫が宮の手をするりと抜けて、の足元に擦り寄る。
「あっ………」
 二人の陰から名残惜しげな小さな声が聞こえた。宮が手を伸ばそうとするのを、嗣子が制する。
「このことは、天樟院さんにも正式に抗議させて貰います。関東のもんは本当に、猫も人間も恐ろしいわ」
 大事になりそうな雰囲気ではあるが、お叱り程度で大したことにはならないだろうと、は踏んでいる。大奥と宮様周辺が揉めているのは日常茶飯事だし、京方が話を大きくするのもいつものことなのだ。
 しかし要らぬ面倒を避けるために、は平身低頭謝罪してみせる。
「ただ事ではない御様子のため、失礼を承知ながら駆け込んだ次第でございます。平に御容赦を」
「そもそも、この猫が宮さんのお部屋に入るのがおかしいやないか。関東のもんは、猫も躾られんのか」
「誠に申し訳ございません」
 はひたすら頭を下げる。
 とりあえず間近で偽宮の顔を確認できたのだから、嗣子の怒りなどどうでもいいことだ。おまけに偽宮は、上手い具合にさと姫に関心を持ったようである。の作戦は、第一段階では成功したのだ。
 の安い頭なんて、いくら下げても惜しくはない。許しを請いながら、は次の作戦を考えていた。
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