第十九章  私に似た人

 どうせ大した働きはできないと思っていたが、操はなかなかのやり手だ。般若に習ったという拳法で、次々と覆面兵を倒していく。
「どう?」
 最後の一人を蹴り倒して、操は得意げにを見た。
「………大したものね」
 は素直に感心した。実戦経験が無いと侮っていたが、徳川の頃と変わらず鍛錬はしているらしい。京都御庭番衆は機能し続けているということか。
 これなら、志々雄と尖角のいるところまでは、問題なくたどり着くことができるだろう。そこからは―――――は腰の刀にそっと手を触れる。
「ねえ、操ちゃん」
 柔らかな猫なで声で、は囁きかける。
「操ちゃんは、刀は使える?」
 仇討ちだが、栄二にではなく、操に手を下させたい。“仇討ち”の罰も“人殺し”の罪も、操一人が背負えばいい。人を殺すということがどういうことか身を以て知り、一生そのことに苦しめばいい。
 操が苦しむのなら、この刀を貸すことも厭わない。こんなことに使うなんて、土方は怒るかもしれないが、それでもは操に使わせたかった。
 が、操は苦無を出して、
「刀は使ったこと無いけど、これなら得意よ」
「ああ………」
 腕力が劣るくのいちは、接近戦を避けるために、飛び道具を使う傾向にあるようだ。体の小さな操も、拳法よりも本当はこちらが得意なのだろう。
 栄二から聞いた話によると、尖角はかなりの大男らしい。それなら刀より、苦無の方が有利かもしれない。
「それなら、大丈夫ね」
「うん、任せといて!」
 微笑むを見て、操は頼りにされていると思ったのか、嬉しそうだ。人殺しを任されて嬉しそうなのはどうかと思うが、本人にやる気があるのは良いことだ。
 知らないということは、人をどこまでも楽天的にしてくれる。操の頭の中は、“正義の仇討ち”を果たすことで一杯なのだろう。にも、そうだった時があった。
「頼りにしてるわ」
 本当に、操の働きには期待している。は、操の背中をぽんと叩いた。





「ありがと。じゃ、おやすみ」
 案内させていた覆面兵の首筋に、操は肘鉄を食らわせる。短い悲鳴の後、覆面兵はあっさりと倒れた。
 結局、ここまでの出る幕は無かった。これなら尖角も操に任せられるだろう。
「そ〜っと、ね………」
 気配を殺して、は襖を少しだけ開けた。
「飛天御剣流、龍翔閃!」
 剣心の逆刃刀が尖角と思われる大男の顎を突き上げ、吹き飛ばした。
 たちの到着を待たずに決着が付いてしまったらしい。斎藤も剣心も、志々雄だけに集中してくれればいいのに。
「あらら………」
 思わずの口から落胆の声が漏れた。が、操も栄二も中の様子に釘付けで、の声には気付いていないようだ。
 も、部屋の中をじっくりと観察する。
 上座にいる包帯男が、志々雄真実なのだろう。幕末の頃に仲間から火をつけられて全身に火傷を負ったと聞いていたが、まだ完治していないのか。頭から爪先まで、包帯巻きで、どんな顔なのかも判らない。剣心の後釜ということだったから、まだ若いのだろうと思う。
 隣に座る女は、志々雄の情婦か。包帯男のくせに、なかなかいい女を連れているようだ。男は見た目でも金でもなく、力か。
 そして、脇に立っている男―――――瀬田宗次郎の姿に、は呼吸が止まった。
 異様な風体と圧倒的な存在感の志々雄より、この男が怖い。操のことなどどうでもいいから、一刻も早くここから逃げ出したかった。
「私たちの出る幕は無さそうね」
 尖角が倒されたのなら、操と栄二がここにいる理由は無い。宗次郎が気付く前に何が何でも逃げたくて、は二人を促す。
 ところが―――――
「だったらコソコソしないで、堂々と見物しな」
 斎藤の声と共に、襖が勢いよく開け放たれた。前のめりで覗いていた操と栄二が倒れ込む。
「ただし、傍から離れるなよ。それから―――――」
 斎藤はをじろりと睨む。
「おまえは子守もできんのか」
「子供は苦手なのよ」
 ふて腐れ手は答える。は此処から逃げ出したかったのだ。宗次郎が目の前にいるなんて、堪えられない。
「お久しぶりですね、さん」
 宗次郎が無邪気な笑顔を向けた。外見は怖がるような相手ではないのに、その笑顔が怖い。
 宗次郎が、こちらに踏み出す。
「―――――っ!」
 みっともないほどに狼狽えて、は後ずさった。が、襖が邪魔をして、殆ど動けない。
 異様なほどのの怯えように、斎藤は怪訝な顔をした。彼には宗次郎の恐ろしさが解らないらしい。
「いやだなあ。そんなに怖がらないでくださいよ。僕はまだ、何もしてませんよ?」
 宗次郎は楽しげに笑う。
 知らぬ人間が見たら、は何を恐れているのかと不思議に思うだろう。だって、宗次郎の何が恐ろしいのか、自分でもよく解っていないのだ。ただ漠然と、恐ろしい。
 と、の視界を、黒いものが横切った。
「宗次郎、俺の代わりに遊んでやれ」
 志々雄が日本刀を投げて寄越したのだ。
「いいんですか?」
「ああ。“龍翔閃”とやらの礼だ。お前の“天剣”を見せてやれ」
 そう言っている間に、女が屏風を退かして、地下通路を開ける。宗次郎に相手させる間に、志々雄たちは脱出するつもりか。
 堂々と逃亡しようとしているのに、剣心も斎藤も動く気配が無い。本丸の志々雄をこのまま逃がす気なのか。
 違う。宗次郎がいるから、二人とも動けないのだ。
 宗次郎には剣気も殺気も無い。かといってやる気が無いわけではなく、剣心との対決を楽しみにしているようだ。
 少しでも動けば、宗次郎が襲いかかってくる。けれどいつ仕掛けてくるのか、全く見当が付かない。
「お前が恐れていたのは、これか?」
 宗次郎を睨みつけたまま、斎藤が低い声で尋ねる。
「それだけじゃないけど………」
 が恐れているのは、そんなことじゃない。もっと違う何か―――――言葉にならない何かが怖い。
 剣心も宗次郎の出方を窺っている。いつ抜刀するのか、“天剣”とは何なのか―――――
「―――――!」
 二人が刀に触れたと思った刹那、刀がぶつかり合う。
 凄まじい剣気に、は指一本動かすことができない。次の一手で勝負が決まる―――――そう思った時、鋭い金属音が耳を突いた。
「?!」
 剣心の逆刃刀が折れたのだ。宗次郎の勝ちということか。
「勝負あり―――――かな?」
 畳に突き刺さった逆刃刀の破片を見て、宗次郎が微笑む。伝説の人斬りの刀を折ったというのに、彼の様子は変わらない。
「ああ。お互い戦闘不能で引き分けってトコだな」
 斎藤の言葉で宗次郎の刀を見ると、彼の刀はボロボロに刃こぼれていて、これもまた使いものにならない状態になっていた。これには宗次郎も驚いたようだ。
 あの二人の激突は、それほどまでに衝撃があったのか。たった一度の居合い抜きで刀が破壊されるなんて、は初めて見た。
「よっしゃ! さすが緋村!」
 操は能天気に喜んでいるが、これは大問題だ。
 宗次郎の刀は使用不可能になっても、すぐに新しい刀を調達することができるだろう。志々雄が刀の一本や二本で、ごちゃごちゃ言うような小さな男とは思えない。
 一方、剣心の逆刃刀は、代わりになるものが無いのだ。不殺を誓っている剣心が、普通の刀を使うはずがない。新しい逆刃刀を手に入れるにしても、どれだけの時間がかかっているのか。
「この勝負、確かに勝ち負けなしですね。今日はこれで失敬しますけど、出来たらまた戦ってください。その時までに新しい刀、用意しておいてくださいね」
 宗次郎の反応はあっさりしたものだ。志々雄が脱出する時間を稼げたのだから、これは宗次郎的には“勝ち”といってもいい。
「それから―――――」
 宗次郎は天使のような微笑みをに向ける。
「僕たちは、いつでも貴女を迎える準備ができてますよ。今からだって―――――」
「私は―――――」
 拒絶したいのに、宗次郎から目が離せない。行ってはいけないと解っているのに、拒絶の言葉が出ない。
 は今、恐怖の理由に気付いた。
 と宗次郎は多分、同じ種類の人間だ。何かがあって、彼の精神も壊れている。あの無邪気な笑顔は、その表情しか作れないのだろう。
 同じ表情しか作れない人間だとしたら、より壊れている。だから、怖いのだ。いつか、自分もそうなってしまうかもしれないから。
 けれど宗次郎は、とても幸せそうだ。“あちら側”はそんなにも心地良いのだろうか。もしが彼の手を取ったなら、同じように幸せになれるのだろうか。
 と、突然、斎藤がの手を強く握った。宗次郎を睨みつけたまま、の方は見ないが、その手が自分のいるべき場所を教えてくれているような気がした。
 繋いでいる手に気付いて、宗次郎はくすっと笑う。
「僕は気が長い方なんで、いつまでも待ってますよ。じゃあ」
 それだけ言って、宗次郎は地下への階段を下りていった。
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