第五章  仕掛け

 数日後、由太郎の紹介で雷十太に会わせてもらえることになった。剣術に興味があって、新しい流派を興そうとしている“偉い先生”の話を聞きたがっているという触れ込みであるから、少しは突っ込んだ話ができそうである。
 塚山邸の座敷に通され、は雷十太の登場を待つ。由太郎の話によると、“先生”はお堅い人物らしい。金だの女だの俗っぽいことには一切興味を持たず、ひたすら剣の道に精進しているのだという。今時そんな男がいるのだろうかとは疑わしく思っているが、蒼紫もそういう男だから絶対に無いとは言い切れない。話半分に聞いておくにしても、今回はお色気作戦は止めておくのが賢明だろう。
 それにしても勿体ぶっているつもりなのか何なのか、“先生”とやらの登場は遅い。やることも無いので、温くなった茶に口を付けながら庭に目を遣った。
 塚山邸の庭は庭園のように手入れが行き届いている。きっと定期的に庭師が入って、この広大な庭の手入れをしているのだろう。観柳邸も金のかかった洋館だったが、この塚山邸も立派な和風建築である。観柳程とはいかなくても、かなり羽振り良くやっているのだろう。
 由太郎の父親は刀剣を中心とした輸出商をしているのだという。明治になって外国人相手の商売をやる者は増えたが、刀剣に目を付けるとは目端の利く男のようだ。日本刀は欧羅巴では美術工芸品として人気が高く、高値で取引されていると聞く。しかも御一新のごたごたでかなりの業物が二束三文で売りに出されたというから、その頃にかなりの利益を上げたと思われる。
 武士の魂である日本刀を欧米人に売り渡して富を築いた者を苦々しく思っている者もいるが、はうまくやったものだと思う意外は何も感じない。時代が変われば価値観も生き方も変わる。刀を差して威張っていられる時代が終わったのなら、それを売り払って新しい生活を始めることの何が悪いのだろう。旧時代に培った誇りを忘れてはいけないが、誇りだけでは生きてはいけないのだ。そのことをは身をもって知っている。
 だからは、昔のことは全て忘れることを選んだ。全てを忘れたつもりでいたこの十年は、心穏やかなものだった。このまま何もかも無かったことにして生きていけたら、どんなに楽だっただろう。そして蒼紫も、昔のことは無かったことにして新しい生活を始められていたら、今とは違う“今”があったかもしれない。それがの望む蒼紫の姿だったかどうかは判らないけれど。
 そんなことを考えていると、漸く雷十太が姿を現した。
 野武士のような無骨な感じの―――――というよりはむさくるしい感じの男である。つい最近まで山にでも籠って剣術修業をしていたのだろうかと思うような風貌だ。鬼瓦のような厳めしい顔立ちで、確かに由太郎の言う通り“お堅い人物”のように見える。
「はじめまして。と申します」
 三つ指をついて、は恭しく頭を下げた。この手の男は、とりあえず腰を低くしておけば間違いない。
 の挨拶に返事はせず、雷十太は彼女の前に座る。不機嫌そうな顔はしているが、無口で無愛想な人だと由太郎も言っていたから、元々がそういう顔なのだろう。
 は顔を上げ、いつものように艶然と微笑んだ。こうやって笑えば大抵の男は表情を崩すのだが、雷十太の顔に変化は無い。これは手強そうだ。
 いくら“お堅い先生”でも女に興味が無いということはないはずだが、色気で攻めると態度を硬化させる種類の人間なのかもしれない。色気が駄目でも、まだ手はある。
 は微笑を消すと、真剣な顔で雷十太を真っ直ぐに見据える。
「先生の“真古流”は近頃の道場剣術とは一線を画した実戦剣術だと伺っております。本日は、その実戦剣術を見せていただきたいと思い、参上致しました」
 表情どころか声音まで変わったを警戒するように、雷十太は僅かに目を細めた。
 由太郎の話では、は“剣術に興味があって、強い剣客が好きな女”のはずだった。今時剣術に興味がある女など珍しいとは思ってはいたが、好きな男が剣術をやっていて、その流れで興味を持ったのだろうとしか考えていなかった。だが、目の前の女は聞いていた話とは全く違う。
 表情にも座っている様子にも隙が無い。例えば雷十太が斬りかかったとしても、即座に避けて攻撃に転じそうな雰囲気だ。一見した時は色気だけの女だと思っていたが、今のの姿は着物の中に武器を仕込んでいそうな危険な女に見える。
 何の目的でこの女は自分に近付いてきたのか。真っ直ぐに見据えるの目を探るように見返し、雷十太は口を開いた。
「貴様、何者だ?」
「まあ……政府関係の機密性の高い仕事をしているとだけ申し上げておきましょうか」
 口の端を吊り上げて、は曖昧に、だがある程度は身分を匂わせる口調で答える。まだ今は詳しいことは話せない。
「まだ詳しいお話はできませんが、私たちは今、ある仕事のために最強の剣客を捜しております。今のところ、石動先生も御存知の“人斬り抜刀斎”が最有力候補なのですが、由太郎君から“真古流”のことを聞きまして、こうしてお伺いいたしました」
「それで、我輩の剣を見せろと?」
「はい。もし、私どもの仕事にご協力いただいて成功した暁には、先生の名を世に知らしめることができますし、そうなれば“真古流”を広めるにあたって大変有益かと」
 にっこりと微笑んで、は甘い言葉を並べたてる。
 これからたちが着手しようとしている仕事は秘密裏に行われるそうだから、たとえ雷十太の働きで成功したとしても、彼の名が表に出ることは無いだろう。まあ、嘘も方便というやつである。仕事が終われば、後はの知ったことではない。
 の言葉に、雷十太は少なからず興味を持ったようだ。表情から警戒の色が消え、続きを促すような目をしている。
「失礼ですが、先生は流派を興すのにまだ資金が不足されているご様子。こちらとしてもそれ相応の謝礼を考えておりますし、その面でも悪い話ではないかと思いますが」
「ほう………」
 いよいよ関心を持ったように、雷十太は目を細めて小さく声を上げた。これだけ旨い話を並べられれば、誰だって興味を惹かれるだろう。それが全て口から出まかせだったとしても。
 自身、これだけ口から出まかせを並べられる自分に呆れている。話に食い付かせるためとはいえ、よくもまあ次々尤もらしく話せるものだ。これも昔取った杵柄というやつか。
 雷十太が食いついたところを逃さぬよう、は畳みかけるように言う。
「ただ、こちらとしても先生の実力を量らせていただかないと、上への報告ができません。そこで―――――」
 はずいと膝を詰めた。そして、雷十太の目の奥を覗き込むような強い視線で、
「是が非でも抜刀斎と勝負をしていただきたいのです。上が“最強”と認めている抜刀斎を斃せば、先生こそが“最強”の剣客。私としても上へ推薦しやすくなります」
「なるほど………」
 雷十太が何かを考えるように黙り込む。抜刀斎との勝負を恐れているのだろうか。
 否、そんなはずはない。由太郎の話では、雷十太は自分の剣にゆるぎない自信を持っているらしいし、が見たところでも“最強”の自信に満ち溢れている。抜刀斎との勝負を望んでいるとも聞いているから、この話に乗ってこないはずはない。
 無言の雷十太に、は最後の一押しをしてやる。
「勝負のお膳立ては、こちらでいたしましょうか? 抜刀斎が逃げも隠れもできぬよう、手筈を整えましょう」
 雷十太は相変わらず黙り込んでいるが、目の光が明らかに変わった。勝負を望む剣客の目だ。
 こちらの獲物は掛かった。さて、もう一方の獲物はどう動くだろうか。
 雷十太の目を見つめたまま、は冷たく微笑んだ。





 いつもの蕎麦屋でが遅めの昼食をとっていると、店に入ってくる斎藤の姿が見えた。今日は待ち合わせはしていなかったが、大体彼がこの時間にこの蕎麦屋に来ることは知っている。
「藤田さん!」
 少し腰を浮かせ、は手を振って斎藤を呼ぶ。
 まさかが来ているとは思わなかったのか、斎藤は少し驚いた顔をした。が、すぐにいつもの無表情に戻ると、真っ直ぐにの方に向かった。そして彼女と対面に座って、
「こんな時間に珍しいな。『赤べこ』は休みか?」
「ええ。だから石動雷十太に会ってきた」
「ほう………」
 斎藤は一寸興味深そうな目をすると、煙草を咥えて火を点けた。どうやら腰を据えての話を聞くつもりらしい。先日は全く当てにしていないような口ぶりだったが、やはり気にはしていたのだろう。
 も残りの蕎麦を食べながら、雷十太との話とその時の彼の様子を掻い摘んで話した。その間に店員が注文を取りに来たり、かけ蕎麦を持ってきたりと何度か話が中断されたが、一通り話し終えるとは得意げに小さく鼻先で笑う。
「―――――というわけで、近いうちに抜刀斎と勝負させるわ。“伝説の人斬り”と自称“最強の流派”のセンセイの対決なんて、面白そうじゃない?」
 仕事であることを忘れ、は楽しそうにくすくす笑う。
 自分で持ちかけた話ではあるが、にはもう雷十太の実力などどうでも良かった。二人がぶつかって、抜刀斎が勝っても当初の目的が果たせるし、雷十太が勝っても抜刀斎を潰すことができる。二人が相討ちになっても、斎藤は少しは困るかもしれないが、は痛くも痒くもない。それどころか、抜刀斎がいなくなれば蒼紫も彼との対決を諦めて、のところに戻ってきてくれるかもしれないではないか。
「そいつは抜刀斎の“本気の”実力を引き出せそうなのか?」
 蕎麦を啜って、斎藤は無表情で尋ねる。の話では、どうやらまだ彼女は雷十太の実力は見ていないようだ。あの男に関する情報は、塚山由太郎の“先生は最強”という言葉だけ。子供の言うことであるし、話半分に聞いて正解だ。斎藤は、ほど手放しに期待していない。
 雷十太とやらがその辺の道場主程度の強さでしかないなら、いくら平和ボケしてしまった抜刀斎でも咬ませ犬にすらならないだろう。“実戦剣術”だの“殺人剣”だのという触れ込みの流派であるらしいが、雷十太とやらは“殺人剣”を名乗れるほど人を斬ったことがあるのだろうか。これまで“石動雷十太”の名は、斎藤の情報網に一度も引っ掛かったごとが無いのだ。そこも気になる。
「さあ、どうかしら?」
 頬杖をついて、は冷笑するように口の端を吊り上げる。
「あのセンセイ、話してみると意外と俗物っぽいのよねぇ。禁欲的だから強いってわけでもないけど、どうなんだろうなあ? でも、一矢報いるくらいはできるんじゃない?」
「おいおい………」
 今まで散々持ち上げておいて、今更そんなことを言われたら斎藤もかなわない。こちらもあまり時間は無いのだ。の茶番に付き合っているわけにはいかない。
 は本当に今の自分の任務を理解しているのだろうかと、斎藤は疑問に思う。彼女の様子を見ていると、抜刀斎や雷十太の力量を量るというより、二人をぶつけて潰わせようと考えているかのようだ。いくら四乃森蒼紫のことがあるとはいえ、私情で動かれては困る。
 四乃森蒼紫が消えてからまだ一月しか経っていないから、忘れてしまえというのはまだ無理な話だろう。けれど、自分を置いて去って行ってしまった男のことをいつまでも想っていても仕方ないではないか。いい加減、新しいことに目を向けてもらいたいものだと斎藤は思う。
 幕末の頃からそうだったが、斎藤が知っているはいつも違う男に心を奪われていて、斎藤の都合も何も全く目に入っていないようだった。幕末の頃は「土方さん土方さん」で、明治の今では四乃森蒼紫のことばかり。十年経っても全く進歩が見えないの姿に、斎藤は呆れるのを通り越して不愉快になってしまう。会う度に蒼紫の捜索状況を訊かれることにも辟易しているし、もういい加減にしてもらいたいくらいだ。
 斎藤は箸を置くと、煙草に火を点けた。そして煙を吐きながら、釘を刺すように言う。
「言っておくが、俺たちの仕事は抜刀斎の力量を調べることであって、奴を潰すことじゃない。私情は捨ててもらわんと困る」
「こんなところで潰されるようだったら、今度の仕事には使えないわ」
 斎藤の言葉など屁でもないように、は小馬鹿にするように鼻先で嗤う。
「“志々雄真実”なんでしょ? 今度の仕事の相手」
 その名前に、煙草を挟んでいた斎藤の指先がぴくりと動いた。“志々雄真実”の名前は警視庁内でも極秘事項で、にもその名は教えていない。一体何処でその名を嗅ぎつけたのか。
 斎藤の目の下の筋肉が微かに動く。無表情を通しているが、動揺している証拠だ。それを見て、は可笑しそうに口の端を吊り上げる。
「あなたが教えてくれないから、こっちで調べさせてもらったの。あなたの部屋の金庫、変えた方が良いんじゃない? 私みたいに一寸鍵の仕組みに詳しい人間にかかったら、すぐ開いちゃうわよ」
「………コソ泥か、お前は」
 悪いことをしたと全く思っていない様子のに、斎藤はそれ以上言葉が出ない。怒るより先に、あの金庫を開けて、中を漁ったことを今日まで斎藤に悟らせなかったその技術力に、心底感心させられてしまった。
 志々雄真実に関する資料を入れていた金庫は、国内産だが最新の鍵を使ったものである。業者の人間でなければ鍵師でも開けられないと、納入業者は豪語していたというのに、鍵師でもないに簡単に開けられてしまうとは。明日にでもあの業者をシメて、今度は舶来の最新金庫と交換させなくては。
 苦虫を噛み潰したような顔の斎藤に、はくすくす笑いながら顔を近付けて、
「ね、志々雄真実って、抜刀斎の後釜なんでしょ? しかも抜刀斎と違って、未だに人を斬ることを何とも思っていない、しかもこの国を転覆させようなんて考えてるキレた男なんでしょう? 抜刀斎だけじゃ、心許ないんじゃないかなあ」
「何が言いたい?」
 回りくどいの言葉に、斎藤は片眉を上げて問う。
 は笑いをおさめると、いきなり斎藤の胸倉を掴んだ。そしてぐっと自分の方に引き寄せ、怒りを含んだ低い声で、
「あんた、蒼紫を捜してるって言いながら、全然捜してくれてないじゃない。こっちはあんたの要求を飲んだのに、約束が違うじゃないの。どういうつもり?」
 またその話かと、斎藤はうんざりしたように小さく息を漏らした。こんな遣り取りは今月に入って何回繰り返しただろう。いい加減察して諦めてくれないものかと思うが、一度は愛した男だからそうもいかないのだろう。
 斎藤も一応、蒼紫のことは捜している。のことは別にして、元御庭番衆御頭という肩書は今度の仕事には魅力的なものであるし、駒は多い方が良い。まあ捜しているとはいっても、志々雄を捜索するついでに引っ掛かれば儲けものだと思っているような、至極消極的なものではあるが。
 斎藤の調査で分かった蒼紫の様子では、たとえ今、彼を捕捉しての前に連れ出したとしても、多分彼女の許には戻らないだろう。の言う通りに事を急いでも、きっと余計に彼女を傷つけるだけだ。一度目の前から去った男に再び拒絶されたら、はきっと立ち直れない。土方の時以上に傷付くに決まっている。どうしてそのことがには解らないのだろう。
 幕末の頃、まだ少女だったが泣いている姿を何度も見てきた。本当に求められているのは自分ではないということは解ってはいたけれど、いつも慰めていたのが斎藤だった。十年以上経って、もう斎藤もそんな役回りをするつもりはないし、のそんな姿も見たくはない。今のは斎藤に怒ってばかりだけれど、泣いているよりははるかに良いと思う。
 そんな内心とは裏腹に、斎藤は鬱陶しげにの手を払って、冷やかに言った。
「前にも言ったが、この広い日本でそう簡単に見付かるものじゃない。こっちだって元御庭番衆御頭というのは魅力的な駒だ。手に入れられるものなら手に入れたいさ」
 言っていることに嘘は無い。広い日本で人一人捜し出すというのは困難を極めることは事実であるし、四乃森蒼紫を魅力的な駒だと思っていることもまた事実。ただ、今のところは積極的に捜す気は無いというだけだ。もう少し時間をおいて、四乃森蒼紫がを受け入れられるくらい精神的に回復したと思われる頃には捜してやろうとは思っているが。
 斎藤の尤もな言葉に、は何も言い返せなくて不機嫌に黙り込むしかなかった。
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