序章  再会

 家政婦から与えられたメイド服を着て、は姿見の前に立った。腰まである髪を指示通りい小さく纏めると、ぎこちないながらもそれなりに形になったような気がする。
 今日からこの武田観柳邸でメイドとして働くことになる。今までとは全く違う仕事ではあるが、何とかなるだろう。紹介所の人間も、誰にでも出来る簡単な仕事だと言っていたのだ。
 だが、仕事内容は兎も角として、この格好は一体何なのだろう。女中だということで紹介されたはずなのに、何だかカフェーの女給のようなのだ。西洋かぶれの家というのは、随分チャラチャラしている。
 まあ多少妙な格好でも、仕事にありつけただけでもありがたいと思わなければならないのだろう。伝も経験も無いのにこんな立派な屋敷に口利きをしてもらえるなんて、かなり運が良い。話がうますぎて、胡散臭い気がしないでもないのだが。
 胡散臭いといえば、この屋敷の主人である武田観柳もかなり胡散臭い男だった。実業家ということだが何だか妙な雰囲気で、多分まともな商売はしていないのだろう。どんな商売をしていようと、には関係無いことではあるが。
 と、ノックの音がして家政婦が扉を開けた。
「用意ができたら、屋敷の案内をしますよ」
「はい」
 主人が何者であれ、格好がどうであれ、金が貰えて生活が成り立つなら結構なことだ。そう自分に言い聞かせ、は新しい生活への第一歩を踏み出した。





「―――――あなたの仕事は旦那様の身の回りのお世話と、お客様のおもてなしです。細かい気配りが求められる仕事ですが、作業そのものは簡単なものばかりですから、一日も早く慣れてください」
 の前を歩きながら、家政婦が説明する。この屋敷では担当する仕事が細かく分けられていて、は女中というよりは侍女のような仕事を与えられるらしい。だからこんなチャラチャラした格好なのかと、今更ながら納得した。
 だが、観柳の世話と客の相手だけで一日が終わるとは思えない。観柳の世話といっても一日中べったりとくっ付いているわけではないだろうし、客だって毎日は来ないだろう。神経は使うだろうが、暇な時間が多そうだ。
「お客様が無い日は何をすればいいのでしょうか?」
「お客様の無い日はありませんから、その心配はありません。それに毎週必ず夜会が催されますから、暇な時間など殆どありませんよ」
「ああ………」
 上流階級の家というのは、が思っているよりも慌ただしいものらしい。そんな家で未経験のが来客の相手をして大丈夫なのだろうかと不安になるが、それは彼女が心配することではないのだろう。
 の気持ちを察したように、家政婦は安心させるように微笑んで、
「大丈夫ですよ。あなたはお茶の用意をするだけで良いのですから。
 あ、あれは―――――」
 向こうから白いコートを着た背の高い男が近付いてくるのが見えた。その男の顔を見た瞬間、の顔が強張る。
 こんな所に彼がいるわけがない。他人の空似だと思おうとしたが、やはり彼だ。どうしてこんな所にいるのだろう。
 男もに気付いて足を止めた。表情は殆ど変わらないが、その目には驚きの色が表れている。
「お前―――――」
「丁度良かった。会う機会はあまり無いかと思いますが、紹介しておきましょう」
 男の声に重なって、家政婦が言った。幸いといおうか、彼女は二人の異変に気付いていないらしい。
「こちらは旦那様の護衛の四乃森蒼紫さんです。こちらは今日から旦那様付きになるさん」
「宜しくお願いします」
 動揺を悟られないように事務的にそれだけ言うと、は頭を下げた。
「あ、ああ………」
 蒼紫も言葉が出ないのか、短く応える。
 もう二度と会うことは無いと思っていたのに、こんな所で再会してしまうなんて。懐かしさより何より、「何故?」という思いで頭が一杯だ。
 それは蒼紫も同じ思いらしく、家政婦に気付かれない程度にから視線を逸らしている。そうやって自分の中で感情を整理しているのだろう。
 家政婦がいなければ一体どうなっていたことか。内心がどうであれ、一応の体裁を保っていられるのは彼女のお陰だ。そのことには心から感謝した。
「さあ、さん。次行きますよ」
「はい」
 家政婦に促され、は逃げるようにその場を後にした。
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