花の髪飾り

 紅梅や白梅をあしらった小物が出回るようになってきた。寒い日は続いているけれど、春はもうすぐそこだ。
 も女であるから、こういう装飾品にはそれなりに興味はある。実際に身に付けるかはともかくとして、華やかなものを見るのは楽しい。
「可愛いわねぇ。どっちにしようかしら」
 大振りな簪を手に取って、武子は楽しげに迷っている。
 武子のような美人ならお洒落のし甲斐もあるだろうから、簪選びも楽しいだろう。派手に思われる飾りも、武子にならよく似合う。
 はというと、できるだけ地味なものを探している始末である。お洒落はしたいけれど、可愛いものや派手なものは合わせるのが難しい。
「あら、さん、もっと派手なものにしたら? そんなんじゃ、付けてる意味がないわ」
 が手にしている簪を見て、武子は紅梅の簪を勧めてくる。
 梅の形をあしらった銀色の簪は、紅や白の布を使った簪に見劣りするのだろう。こういう渋いのは長く使えるとは思うのだが。
 それに派手な簪は、には付けて行く所が無い。仕事では派手なものは付けられないし、買っても箪笥の肥やしになるだけだ。
「いいのよ。仕事でしか使わないんだから」
「四乃森さんに会う時のために買っておいたら? あの後も会ってるんでしょ?」
 そう言って、武子は意味ありげに笑う。
 確かに蒼紫とは会っているけれど、それと簪は話が別だ。蒼紫と会うために派手な簪というのも、何だか構えすぎな気がする。蒼紫と会うのは今でも緊張するのだから、いつもと違うことをしたら、そっちが気になって挙動不審になりそうだ。
「それこそいつも通りでいいって」
「いつもと違うのが良いんじゃない。あ、これ可愛い! こういうの付けなさいって」
 小さな白梅と紅梅をあしらった簪を手に取って、武子は熱心に勧める。まるで店員のようだ。
 こういう可愛らしいものは女学生のような可憐な少女が付けるものだ。お世辞にも可憐とは言えないには合わない気がする。
「こういうのは一寸………」
「こういうのが良いのよ。四乃森さんだって、こういうのが好きよ、きっと」
「しっ……四乃森さんは関係無いでしょ!」
 は思わず顔を紅くした。
 には可愛らしすぎるような気がするが、蒼紫が好きかもしれないと思うと一寸考えてしまう。誰かの好みを考えて装飾品を買うことなんか無かったけれど、たまには誰かのために選ぶのも悪くないかもしれない。
 簪を手に取ったまま、は考え込んだ。





 手に取った時は可愛らしすぎるように見えたが、実際に付けてみると控えめな感じにも見える。付ける人間によって簪の雰囲気は変わるのかもしれない。
 こういう大人しい感じなら、蒼紫も好感を持つかもしれない。ああいう人はきっと、控え目だったり落ち着いたものが好きだ。
 今日会って、感じが良さそうなら、こういう髪飾りを買ってみようか。蒼紫は女の装飾品について良いとか悪いとか言わなそうだから、こちらから訊かないといけないかもしれない。
 から「どうですか?」なんて訊いたら、蒼紫はどんな顔をするだろう。その時のことを想像したら、今から照れてしまう。
「姉ちゃん、いつまで鏡の前に座ってんだよ?」
 蒼紫とのやりとりを頭の中で練習していると、後ろから弟が声をかけてきた。
「うわあっ?!」
 いつから見ていたのか知らないが、いるならいるでもっと早くに声をかけてもらいたい。にやにや妄想しているところを弟に見られるなんて最悪だ。
 顔を真っ赤にして慌てふためくを、弟はにやにやして見下ろす。
「何だか最近色気付いてるみたいだけど、男でもできたのか?」
「そっ……そんなんじゃないから!」
 即座に否定するが、顔が真っ赤になっているから認めたようなものだ。
 蒼紫と出会ってからというもの、確かに鏡の前に座る時間が長くなったとは思う。化粧品も少し増えたし、装飾品もこれから増えていくだろう。だけどそれは、“色気付いた”というのとは一寸違う気がする。
 自分を飾る道具は少しだけ増えたけれど、は相変わらず地味だし、蒼紫との仲もこれといった進展は無いのだ。少しは色気のある展開があれば違うのだろうが、本当に地味なものである。
 妙な言いがかりを付けられたような気分になって、は少し不機嫌な様子で持って行く本を手提げに突っ込んでいく。そして荒々しく立ち上がると、
「一寸出かけてくる!」
 時計を見ると、予定の時間を少し過ぎている。弟とくだらない話をしている場合ではないのだ。
 が不機嫌になっているというのに、弟は相変わらずにやにやしたままだ。図星を指されて照れているだけだと思っているのだろう。
「なあ、その簪、地味じゃないか? ただでさえ地味なんだから―――――」
「うるさいっ!」
 地味な女だということはも認めるが、こうも地味地味言われると腹が立つというものだ。だって、できることなら武子のような華やかな女になりたいのである。
 ドスドスと足を踏み鳴らして、は出ていった。





 とはいえ、地味だ地味だと言われると、も気が重くなってきた。弟も一応男であるから、男から見て地味というのは、やはり自分には魅力が無いのではないかと思ってしまう。
 弟と蒼紫は好みが違うだろうし、こうやって頻繁に会っているということは、それなりに親しい間柄になれていると思うのだが、蒼紫はどうだろう。本の貸し借りをするだけの友人止まりでは、は困る。
「四乃森さん!」
 蒼紫の姿を見つけ、は駆け寄った。
「すみません、待ちました?」
「いえ、こちらが早く着いただけですから」
 蒼紫は静かに微笑んで応える。
 蒼紫はいつも、より先に着いている。約束の時間より早く着いても、何故か蒼紫が先に待っているのだ。一体、いつから待っているのだろう。
「それ、持ちましょうか。重いでしょう」
 蒼紫がの手提げを指した。
「あっ、大丈夫ですっ。そんなに重くないんで」
 は即座に断る。本を何冊も入れているからそれなりに重いのだが、一目で女物と判る色なのだ。そんなものを蒼紫には持たせられない。
 断り方が少し乱暴だったか、蒼紫は気まずそうな顔をした。せっかく言ってくれたのだから、甘えてみるべきだったか。頼ることで可愛いと思われることもあるようなのだ。
 しかし、やはり蒼紫のような人に女物の手提げを持たせるのはまずいと思う。
「手提げの色が女物なんで……そういうのを男の人に持ってもらうのは………」
「ああ………」
 言った後で言い訳がましいかと思ったが、蒼紫は納得したようである。とりあえずほっとした。
「立ち話も何なんで、何処かに入りましょう」
 蒼紫に提案されて、は頷いた。
 蒼紫と話すのは、大体甘味屋と決まっている。洋風のカフェは落ち着かないらしい。それとも、やはり紅茶がまずかったのか。
 茶の湯が趣味だから、こういう和風の店が好きなのだろう。まあ、抹茶茶碗が似合うから、にはどちらでも良いのだが。
「これ、ありがとうございました。それから、前にお話しした錦絵新聞なんですけど………」
 手提げから借りていた本と、適当に見繕った錦絵新聞の束を出す。
 蒼紫に見せるのはどういうのが良いか散々悩んで、美人絵のようなものと、面白記事を持ってきた。美人絵は、夜嵐お絹や高橋お伝のような有名な毒婦ものである。芝居や物語にもなっているから、蒼紫にも抵抗が無いだろう。面白記事は、化け狸や大入道騒動で、本当に馬鹿馬鹿しいものだ。
「四乃森さんがどういうのがお好きか判らなかったので、古いものから適当に持ってきたのですが………」
「ありがとうございます。一度買ってきたら、もっとこういうものを読めと言われるものですから」
 蒼紫は苦笑する。
 の家では、もっとまともなものを読めと言われるくらいなのだが、家によって変われば変わるものである。周りが心配して錦絵新聞を読ませたくなるほど、蒼紫は箱入りなのだろうか。
 確かに蒼紫と話していると、少し浮き世離れしているようには感じられる。知識層が読む新聞や雑誌に載っていることには詳しいようだが、役者の名前も知らないし、流行の話題にも疎いようだ。どうやったらそうなるのだろうと、は不思議に思う。
 蒼紫のことだから、演芸や歌舞伎も見たことが無いかもしれない。こうやって本の貸し借りだけでなく、何処かへ出かけてみようか。
 興味深そうに錦絵新聞を見ている蒼紫に、は思いきって提案してみた。
「いつも甘味屋さんばかりですから、何処か他の所に出かけてみませんか?」
 の提案に、蒼紫は少し考える。そして思い付いたように、
「それなら梅を見に行きましょう。そろそろ満開の時期です」
「お花見ですか?」
 蒼紫のことだから、神社仏閣の梅を見に行くのだろう。風流ではあるが、が求めているのとは微妙に違うような気がする。
 花見はも好きだ。しかしそれは気楽に楽しめることが前提で、風流なものとなると、要らぬ気を遣いそうである。
 どうしようかとが考えていると、蒼紫は怪訝な顔をした。
「梅は嫌いですか? 髪に付けているから、てっきり………」
「えっ? あっ、これ………?」
 は驚いて、とっさに簪に手を遣った。まさか今、簪について指摘されるとは思わなかった。
「これ、あのっ……この前買って……! 武子さんに勧められて、こういうのが可愛いって………」
 何と言えばいいのか、は真っ赤になって慌てる。普通に「季節物だから買っちゃいました」と言えば済むのに、ごちゃごちゃ言い過ぎて、言い訳しているみたいだ。
 蒼紫も何と返して良いか困っているようで、簪に目を遣ったまま黙っている。が蒼紫を浮き世離れしていると思っているように、彼もを絡みづらいと思っているかもしれない。
 何とかしなければと思うのだが、そう思うと余計に焦って早口になってしまう。
「弟から地味って言われたんですけど、あんまり派手なのもどうかと思いますし、だから―――――」
「まあ、梅はあまり派手派手しい花ではないですから………」
 言葉を選んでいるのか、蒼紫の口調はゆっくりとしている。そう言われると、も少し落ち着いてきた。
「そ……そうですね。派手ではないですよね」
さんらしくて良いと思います」
 深い意味は無いのだろうが、その人ことでは耳まで真っ赤になってしまった。
 弟には地味だの何だと言われたけれど、蒼紫はこういうのが良いと思っているのだろう。蒼紫が良いと言うのなら、地味でも何でもこの簪が一番良いもののように思えてきた。
 しかし―――――ふと蒼紫の言葉に引っかかりを覚えた。
 派手ではない花の簪がらしいというのは、彼女が地味な女だということなのだろうか。確かに自分でも地味な女だとは思うが、改めて蒼紫に言われると、やはりがっかりしてしまう。
 けれど、蒼紫の雰囲気は好意的なようで、それなら地味でも良いか、と前向きに考えることにした。
<あとがき>
 姉を慕う弟なんて都市伝説。縁みたいなシスコン弟なんてフィクション。リアル弟って結構キツいこと言うよね。
 そうか、主人公さん、地味なのか……。まあ蒼紫も派手なのは見た目と名前だけの地味男なんで、お似合いではないかと(笑)。地味には地味の良さがあるよ!
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