百人一首
元旦には、神社で百人一首の会が開かれる。盛大なものではないが、それなりに参加者が集まるものだ。誰にでも特技はあるもので、実はは百人一首が得意である。何度も優勝したほどの腕前だ。この辺りでに勝てる者は、そういないだろう。
しかも今年は、いつも競り合っていた相手が遠方に嫁いで不在である。これは確実に優勝できる。否、絶対に優勝しなければ。
「今年はさんの一人勝ちかしら〜」
武子も会に参加するのだが、優勝など最初から狙っていないから暢気なものだ。
所詮はお遊びだから、その程度の心構えでいいのだが、の意気込みは尋常ではない。まるで試合前のように気合いが入っている。
「今年はあの女がいないんだもの。当然よ!」
まだ参加者が揃っていないうちから、は勝った気でいる。何しろ毎年優勝争いしていた相手はいないのだ。とんでもない新人でも現れない限り、の優勝は決まっているも同然だ。
ざっと見たところ、手強そうな面子はいない。見た目だけでは判断できないが、ほどの技の持ち主はいないだろう。これは確実に勝てる。
もうすぐ始まるという時になって、また人が入ってきた。
「あっ………」
「ああ………」
入ってきたのは、蒼紫と使用人らしき数名だ。こんなところで同席するとは思わなかった。
「まあ、四乃森さん。こっちこっち」
武子は朗らかに手招きをする。それで知り合いと悟ってくれたのか、周りも席を詰めて、たちの近くに蒼紫たちの席を作ってくれた。
「四乃森さんも参加なさるんですね。お得意なんですか?」
対面に座る蒼紫に、武子が話しかける。
「ええ、まあ………。それほどではありませんが」
蒼紫の口は重いが、それはいつものことだ。それより、その口振りである。謙遜しているようで、自信ありげではないか。
蒼紫は去年まで参加していない。だが、会に参加したことが無いだけで、身内同士で鍛えて、満を持しての参加なのだろう。ある程度鍛えてからの参加というのは、当然のことだ。
しかし、所詮は身内でやること。この会場には、のように毎年参加する猛者がいるのだ。身内だけでやっている者とは鍛え方が違う。
「さんは大得意なんですよ〜。何度も優勝してるんですから」
「やだ、武子さんったら」
武子も制するようにしながらも、は得意げだ。何しろ、他人に自慢できる唯一の特技なのである。
だが、蒼紫の反応は薄い。
「そうなんですか」
彼の反応の薄さは今に始まったことではないが、百人一首の女王を自負するには面白くない。まあ、実力の程を見せれば、白旗を上げるだろうが。
女王の余裕で、はふふんと鼻で笑う。
「今年も優勝を狙ってますのよ。四乃森さんも頑張ってくださいな」
「そうですね。せいぜい頑張らせていただきます」
いつになく、蒼紫の態度は不遜だ。よほど自信があるのか。蒼紫の自信など、には簡単にへし折ることができるのだが。
「楽しみですわあ。今年は強い人がいなくなって、一寸退屈かと思ってましたもの」
いつもの緊張はどこへやら、は余裕の笑みで返した。
蒼紫が対面に座っているというのは、の緊張を極限まで押し上げるものであるが、今日ばかりは違う。今日のは勝負師なのだ。男だとか女だとか、目の前にいるのが美形でも関係ない。優勝のためなら、蒼紫だろうが武子だろうが蹴散らすつもりだ。
ところで優勝商品は、商店街の商品券である。大した額ではないが、の目当てはそんな小さなものではない。が目指すのは、百人一首二連覇なのだ。唯一の特技だからこそ、誰にも譲れない。
ぴんと張りつめた空気の中で、読み手が札を読み上げる。
「君がため惜し―――――」
「はいっ!」
勢い良く、は札を弾く。
「―――――長くもがなと思ひけるかな」
下の句はが取ったものと一致している。百首暗記しているのだから、当然だ。
読み手の声の調子、無作為に並べられている札の位置の暗記が勝敗を分ける。はこういった者への暗記力に優れているが、蒼紫はどうだろう。
早くも実力を見せつけて、得意げなに対し、蒼紫は無表情だ。今はまだ様子見といったところか。
しかしその余裕がいつまで続くか。は百人一首の女王なのだ。
「秋の田の―――――」
「はいっ!」
次の札に手を叩きつけたのは蒼紫だ。まあ、目の前にあった札であるから、取れて当然だろう。
本当の勝負は、札が少なくなった時だ。反射神経は勿論、周りを押し退ける気迫と、割り込む体力である。内向的な蒼紫にそこまでできるか疑問だ。
の心配をよそに、蒼紫は着々と札を溜めている。身内だけのカルタ会でいい気になってると思ったが、の勘違いだったようだ。
この調子で進められたら、の優勝が危ない。歴戦の女王が、ぽっと出の新参者に負けるなんて、あってなるものか。
残り少なくなった札を睨みつつ、は目と耳に全神経を集中させる。
「夜をこめ―――――」
「はいっ!」
蒼紫の手を掠めるように、は札を弾いた。
が本気を出せば、こんなものだ。蒼紫が多少反射神経が良くとも、百戦錬磨のとは格が違う。
は得意だが、蒼紫は面白くなさそうだ。自信をへし折られたのが、面白くないのだろう。
ここは蒼紫に華を持たせておくべきか。しかしわざと負けたことに気付かれたら、今より最悪なことになるのは確実。何より、勝負事に情は絡めたくない。
蒼紫が取った札をちらりと見る。が取ったのと大して変わらないくらいだ。微妙にの方が勝っているか。残りの半分を取れば、確実に勝てる。
「よそ見している余裕なんてあるんですか?」
「ええ、今年も優勝ですから」
よせばいいのに、は余裕の表情を作ってみせる。それが蒼紫を刺激したのか、むっとした顔になった。
「それはどうですかね」
「この調子でいけば、確実ですよ」
「へぇ………」
何を思っているのか、蒼紫はにやりと笑った。何だか分からないが、小馬鹿にされているような気がする。
今から追い上げれば蒼紫にも優勝の目があるのに、が油断しているように見えているのだろうか。別に油断してはいないが、これまでの流れを見れば、が有利なのは明白だ。
「では、次からは本気でいきます」
「はい?」
もう終盤にさしかかっているのに、今から本気とは。どう考えてもハッタリとしか思えない。しかも蒼紫は真顔でいうのだから、は笑いを堪えるのに苦労した。
まあ、蒼紫がいくら本気を出そうと、の勝ちはほぼ決まりなのだ。蒼紫のことは意識から外して、改めて並べられた札に集中した。
「こぬ人―――――」
「はっ!」
読み手が声を出すとほぼ同時に、蒼紫が凄まじい気迫で札を弾き飛ばす。
あまりの速さと気迫に、も周りも唖然とした。百人一首は本格的にやれば格闘技のような要素もあるが、蒼紫の気迫は本物の格闘技にも勝っている。まさに“真剣勝負”だ。
蒼紫の“次から本気”は、ハッタリではなかったようだ。身内との百人一首がこの調子だとしたら、どんな集団だと思うが、まあいい。こんな強敵が出てくるとは、は久々に燃えてきた。これは何が何でも負けられない。
最後の方はと蒼紫の一騎打ち状態で、他の参加者は二人の気迫に圧されて手出しできずにいるようだった。楽しい百人一首の会が真剣勝負の格闘技のようになったのだから、迷惑な二人である。
結果はの辛勝で二冠達成となったわけであるが、気分は複雑だ。何しろ、蒼紫と格闘の末である。お洒落をしても晴れ着を着ていても、これでは台無しだ。
「ねえねえ、この商品券、初売りでぱあっと使いましょ。お財布を買うのも良いわねぇ」
どんよりと抹茶を啜っているなど気にもかけず、武子ははしゃいでいる。これは私の商品券だとか、少しは察しろとか、突っ込みどころはいろいろあるが、にはそれを言う気力も無い。
蒼紫はというと、隣で渋い顔で抹茶を飲んでいる。に負けたからというわけではなく、使用人からくどくど文句を言われているからだ。
「百人一首であそこまでやらなくても………」
「しかも女性相手に。どこまで大人げ無いんだか………」
小声でくどくど言っているのは、白尉と黒尉という男たちだ。『葵屋』では厨房を任されているらしい。
大の男が女相手にあそこまで本気を出すというのも、それが百人一首というのも、世間的にはみっともないことなのだろう。確かに女子供と人纏めにされるのだから、そういう相手に本気を出すのは、大人げないのかもしれない。 しかし、そういう相手にも真剣勝負というのは、蒼紫の生真面目な性格を表していると、は思うのだ。まあ、本当に大人げ無いだけなのかもしれないが。
蒼紫が手抜きをしていたら、きっとは馬鹿にされたと思っただろう。生真面目にしろ大人げ無いにしろ、あれはあれで良かったと思う。
「でも勝負事は、本気でやらないと楽しくないですし………」
が口を挟んで良いものか迷ったが、一応弁護してみる。武子も一緒になって、
「そうですよ。あれは見ていても面白かったですもの」
美人の武子が言うと、やっぱり効果があるらしい。男たちは少し困ったように笑った。
たまには役に立つことを言うとが感心していると、武子はとんでもないことを言った。
「二人とも凄い顔で。あんなの、なかなか見られませんもの」
武子は楽しげにころころ笑うが、は恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいだ。なかなか見られない凄い顔なんて、どんな顔をしていたのだろう。
挙動不審になったり凄い顔を見せたり、蒼紫の前では良いところ全く無しだ。これでは“面白い人”から先に進めない。もっと良い雰囲気に持ち込みたいのに。
今年は挙動不審と蒼紫限定のあがり症を克服して、それらしい雰囲気に持ち込みたいものだ。まだむっつりしてる蒼紫を横目で見て、は決意した。
正月といえば、カルタ会ですよね。元日にやるところは少ないと思いますが、正月のうちにやる所はあると思う。太宰府天満宮でもやってた気がするけど、どうだったかなあ。
高校の授業で百人一首やったけど、みんな地蔵のように動かなかったなあ(笑)。あれをやれる人って、普通に凄いわ。