気まずい二人

 文明開化という言葉が当たり前になって、のような庶民にも“西洋”は手に届くものになった。勿論、まだまだ高級品ではあるが、たまの贅沢として楽しむくらいはできる。
 西洋かでが気に入ったものは、カフェという店だ。紅茶や珈琲、西洋菓子を出して、女給はおしゃれなエプロンをしている。洋菓子は和菓子よりお洒落に見えるし、それに紅茶だなんて、まるで西洋人になったかのようだ。
 高いから頻繁には行けないが、作法は知っている。少なくとも、蒼紫よりは知っているだろう。
 何しろ蒼紫は、“カフェ”という言葉すら知らなかったのだ。これならが場を仕切ることができる。
 問題は、蒼紫が洋菓子を好きかということだ。茶菓子は好きなようだったから甘党だとは思うが、餡で作られた和菓子と乳製品と小麦粉で作られた洋菓子は、同じ甘い菓子でも違う。日本茶と紅茶だって、原料は同じでも全くの別物だ。
 カフェを気に入ってくれたら良いが、気に入らなかったらどうしよう。誘っておきながら、今になって心配になってきた。
 しかし、お付き合いするとなったら、自分の好みを知ってもらうというのは大切だ。今更撤回するのもおかしいし、カフェで様子を見て、それから今後の対策を考えても遅くはないだろう。





 待ち合わせの日、蒼紫は初めてのカフェを楽しみにしているように見えた。古風な男かと思ったら、新しいもの好きな面もあるらしい。
 茶が好きだから、西洋の茶に興味があるのかもしれない。味が全然違うからびっくりしないかと、は心配になってきた。
「紅茶は初めてなので、何を選べばいいか………」
 お品書きを見て、蒼紫は困惑の表情を見せた。この店では、茶葉だけでも何種類もあるのだ。それにミルクだのレモンだの香辛料だの、入れるものもいろいろある。も、初めて来た時は何が何だか分からなかったのだから、蒼紫だってそうだろう。
 これならが主導権を握れる。蒼紫にどれが良いか勧めたり、それをきっかけに紅茶や西洋菓子について話を広げられるような気がした。
「初めての人には、これが飲みやすいかもしれません。香りも味も癖が無くて。私も、初めて飲んだのは、これなんです」
 そう言いながら、は一番上に書かれている銘柄を指す。
 自分が教える立場という余裕のせいか、の口は滑らかだ。緊張しているのは相変わらずだが、蒼紫も初めての場所で緊張してるのだと思えば、少しだけ気分が軽い。
「じゃあ、それで」
「ミルクと砂糖はどうします?」
「?」
 蒼紫は不思議そうな顔をした。茶に何かを入れるというのが理解できなかったのだろう。
 日本茶には、砂糖だの何だのは入れない。純粋に茶の味と香りを楽しむものだ。文化の違いなのだが、茶に何かを入れて味や香りを変えるのは邪道だと思ったかもしれない。
 英国ではミルクを入れるのが当たり前で、紅茶というのはそういうものなのだと説明したいが、だって英国事情に詳しいわけではない。何故ミルクを入れるのかとか、わざわざ違う香りを付けるのかと追求されたら困る。
「えっと、あの……英国ではミルクティーっていうのが当たり前なんですけど、香りを楽しみたいなら、そのままでも………」
「ああ……じゃあ、そのままで」
 おたおたしながらの説明でも、蒼紫は納得してくれたらしい。に深く追求しても仕方ないと思ったのかもしれないが。
 多少もたついたものの、注文まではたどり着けた。あとは、紅茶が来るまでの会話である。
 四回目ともなると、蒼紫の顔には慣れたが、会話となるとまだまだである。雰囲気も話し方も、今までが接してきた男とは大違いで、自分なんかが話し相手でも大丈夫なのだろうかと、不安になるほどだ。
 老舗料亭の若旦那なのだから、それなりの教育を受けているのは当然なのだが、蒼紫からはそれ以上の何かを感じる。お武家様のような―――――しかもかなりの身分だったような雰囲気なのだ。
 それに引き換え、は三代遡っても平凡な町民だ。御一新で成り上がることもできず、他人に自慢できる特技も無い。
 要するに、と蒼紫は、誰が見ても釣り合わない組み合わせなのだ。外見も家柄も。そんな女に、蒼紫が好意を持つわけがない。だから、は異常に緊張してしまうのだ。
「四乃森さんは、どうして私なんかと出かけようと思ったんですか?」
 身も蓋もない質問であるが、は尋ねずにはいられない。
 資産家の娘でもなく、武子のような美人でもなく、のようなつまらない女といても、蒼紫には何の特も無いのだ。蒼紫ほどの男なら、相手はいくらでもいるはずなのに。
 の問いに、蒼紫は心底不思議そうな顔をした。
さんは楽しい人だと思ったからです。見ていて飽きないというか………」
「私は普通だし、面白いなんて………」
 はますます困惑する。
 武子のように、打てば響くような会話はできないし、話術も巧みではない。いつも緊張して、まともに話せないくらいなのだ。
 緊張する姿が面白いのだろうか。それはそれで失礼だ。
「私は別に………」
「初めて会った時、自分に似てる人だと思いました。人見知りなのも、それでも一生懸命話そうとしているところも」
「あれは―――――」
 あれは極度に緊張していたせいだ。あんな美形が目の前にいたら、誰だって緊張する。
 ひょっとして蒼紫は、自分の価値に気付いていないのだろうか。あまり他人と接したことが無くて、自分がどの程度の人間か、解っていないのかもしれない。
「私、本当は、そんなに人見知りじゃないんです。だけど、四乃森さんの前に出ると、どうしてもこうなっちゃって………」
 まともに見るとまた話せなくなってしまうから、は下を向いて言う。それでも蒼紫と話しているのだと思うと緊張してしまって、ぼそぼそとした声になってしまうのだが。
「俺と話すのは、そんなに緊張しますか?」
 そう尋ねられて、は迂闊な言い方だったと後悔した。
 あんな言い方では、蒼紫に原因があると取られそうだ。多少は蒼紫にも原因はあるが、悪いのは緊張するの方なのに。
 蒼紫の声は淡々としているが、本当は傷付いたかもしれない。彼のような美形で立場もある人間だと、今までだって周りに緊張され続けてきたかもしれないのだ。の一言のせいで、自分のせいなのだと思い込んで落ち込ませたらどうしよう。
 誤解を解かねばと、は慌てて説明する。
「四乃森さんは立派な人で、でも私はこんなだから―――――」
「立派……ですか」
 蒼紫の声は変わらず淡々としているが、明らかに不快の色が混じったように感じられた。相手を立てたつもりが、嫌みや皮肉に聞こえたのかもしれない。
「あ、あのっ―――――」
「立派な人間……だったらどんなに良かったか………」
 が慌てて顔を上げると、蒼紫は憂鬱そうな顔で横を向いていた。褒めたつもりが、傷付けてしまったらしい。
 老舗料亭の若旦那で、それに相応しい落ち着きと品があって、から見れば蒼紫は“立派な人”に見える。でも、蒼紫は蒼紫なりに悩みがあるのだろう。ちゃんとしているように見えるのは、“老舗料亭の若旦那”という役割を演じているのかもしれない。
 ここは謝った方がいいのだろうか。しかし、謝るのも変な感じがする。が蒼紫を立派だと思っているのは事実なのだ。
 どうしようかと迷っていると、蒼紫が困ったようにを見た。
「がっかりさせてしまいますが、俺はあなたが思うような立派な人間じゃありません。人付き合いは苦手だし、人の心も解らない。こうやって向かい合っているだけで、手に汗をかいてしまうほどです」
と、テーブルに置かれたの手に、自分の手を重ねる。
「あ………」
 蒼紫の言う通り、確かに彼の掌には湿り気がある。こんなになるなんて、蒼紫もと同じように極限まで緊張していたのだ。
 落ち着いて見えたのは、単に感情が表に出ない性質だったのだろう。それなのに茶会では武子と会話を弾ませたり、に積極的に話しかけたり、内心は大変だったと思う。
 蒼紫も自分と同じなのだと思ったら、も少しだけ気が楽になった。
 そういえば武子も、蒼紫も緊張していたと言っていたではないか。絶望的に空気の読めない女の言うことだからと気にしていなかったが、傍から見れば蒼紫もも同じだったのだ。
「なぁんだ………」
 は安堵の溜息をつく。が、次の瞬間、自分の尾kれている状況に気付いて、顔が真っ赤になった。
 蒼紫の手が、の手に重ねられているのだ。男の手に触れたこともないのに、いきなりこんな美形の手である。は頭が真っ白になった。
 今にも気絶せんばかりのの様子に気付いて、蒼紫は慌てて手を引っ込める。
「しっ……失礼しました」
 蒼紫もまた、困惑して焦っているようだ。彼もこういう状況に慣れていないのだろう。
 蒼紫に手を握られたのは、失礼でも迷惑でもなかった。こんな美形に手を握ってもらえるなんて、一生無いと思っていたのだ。
 失礼どころか幸運だったとが言おうとした時、紅茶が運ばれてきた。
「えっと……いただきましょうか」
 蒼紫に促され、手のことはうやむやになってしまった。彼もこの変な空気を変えたかったのだろう。
「………はい」
 これ以上引っ張るのもまずい気がして、も黙った。
 いつものようにミルクをカップに入れ、ポットの茶を注ぐ。何故だか分からないが、ミルクを先に入れるのが英国式なのだそうだ。
 蒼紫はというと、ポットの中身が気になるのか、蓋を開けて中を覗いている。匂いを確認してみたり、本当に紅茶は初めてらしい。日本茶とあまり変わらぬ茶葉が入っていることを確認すると、漸くカップに注いだ。
「煎茶のようですね………」
 琥珀色の液体を見て、蒼紫は呟いた。言われてみれば似ているのかもしれないが、何か違うとは思う。
 紅茶を見るのが初めての人間には、そういうものなのだろう。が初めて飲んだ時は、その発想は無かったが。
「味は全然違いますよ。まあ、飲んでみてください」
「はい」
 に促され、蒼紫はカップに口を付ける。が、少し飲んだところで、そのまま固まってしまった。
 どうしたのだろうとが怪訝に思っていると、カップを持っている蒼紫の手が震えている。予想外の味にびっくりしたのだろうか。
「あ……あの………」
 蒼紫の尋常ではない様子に、の方がびっくりである。も、初めて飲んだ時は、日本茶とは全く違う味と香りに驚いたが、蒼紫の様子はただ事ではない。
 吐き出すのではないかとハラハラしながら見守っていると、蒼紫は静かにカップを置いた。
「想像していたものと違って、驚きました」
 蒼紫の声は落ち着いているが、どうやら彼にとって紅茶はまずいものだったらしい。表情が冴えない。
「あ……えっと………」
 何と言っていいのか、は困惑してしまう。こちらから誘っておいて、まずいものを飲ませたとなったら、気まずいどころの騒ぎではない。
 おろおろするを制するように、蒼紫は落ち着いた様子で、
「大丈夫です。慣れてないだけですから。慣れたら大丈夫です」
 大丈夫と繰り返す時は、だいたい大丈夫ではない。やっぱりまずかったのかと、は気まずくなった。
「あ、ミルクを入れたら大分違うかも。砂糖も入れてみます?」
 少しでも状況を好転させようと、は提案してみる。が、蒼紫は浮かない顔で、
「いえ、それは………」
 日本茶とは全くの別物とはいえ、茶に砂糖やミルクを入れるのは邪道だと思っているのだろう。ゲテモノだと思っているかもしれない。
 しかしこのままでは、場の雰囲気が微妙になっていく一方だ。はますます頭を悩ませた。





「あの……お誘いして、かえって悪かったみたいで………」
 ハイカラな店で会話を弾ませるつもりが、微妙な空気のまま終わってしまった。無難に甘味屋にしておけば良かったと、は後悔した。
 が、蒼紫は別に気にするようでもなく、
「いえ。変わった雰囲気で、楽しかったですよ」
 楽しそうには見えなかったが、蒼紫なりに気を遣ってくれているのかもしれない。それとも、表情に出なかっただけで、本当に楽しんでくれたのだろうか。だとしたら嬉しいのだが。
 次の機会があるとしたら、今度は蒼紫に任せよう。は、こういう場を選ぶのに向いていない。この状態で次があるのかは判らないが。
 そもそも、こんな美形と二人でカフェに行けただけでも、奇跡のようなものなのだ。これだけでも上出来ではないか。
 そうやって自分を慰めていると、蒼紫が意外なことを言った。
「次は珈琲に挑戦してみようと思います」
「え?」
 驚いて顔を上げると、蒼紫の口許に微かな笑みが浮かんでいた。
「紅茶は一寸……でしたが、ああいう雰囲気の店は好きです。ハイカラ……というのでしょうか。うちが純和風ですから、新鮮なのかもしれません」
「ああ………」
 蒼紫は本当に楽しんでくれていたのだ。紅茶は好きになれなかったようだが、また行きたいと思わせることができたのなら、大成功だ。
 また蒼紫に会えるのかと思うと、胸がドキドキする。挙動不審にならないように、こっそりと深呼吸をして、不自然にならないような笑顔を作った。
「じゃあ、また行きましょうね。珈琲専門店、調べておきますから」
<あとがき>
 初デートはとりあえず成功?
 しかし主人公うぜぇな(笑)。何のコンプレックスがあるのか知らんが、過剰に自己評価が低い人間というのは、相手をイラッとさせるものです。自信過剰はこれまたウザいが、主人公さんは一寸自分に自信を持った方がいいと思うよ。
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