お茶会

 紅葉は今が盛り。新聞も雑誌も、行楽地や名所の様子を盛んに伝えている。
 『葵屋』の茶会も、ちょうど紅葉の見頃に開かれる。小春日和の晴天なら最高だ。
 『葵屋』には、友人の武子と一緒に行くことになっている。美人で話好きで、彼女となら、蒼紫といても気まずい雰囲気にはならずに済むと思う。“美人”なのが、一寸悩みの種なのだが。
 美人なだけあって、武子は男に好かれる。が良いなと思った男に会わせると大抵、男は武子を気に入るのだ。別に、彼女が思わせぶりな態度をとっているわけではない。ただ、にこにこして話すだけで、男たちは武子を好きになるのだ。
 友人とはいえ、そんな危険な女を茶会に連れて行くのは心配だ。蒼紫が武子を好きになったらどうしよう。はこの機会に、蒼紫とお近付きになりたいのに。
 かといって、違う友人という気分にはなれない。男さえ絡まなければ武子は一番気の合う相手だし、せっかくなら美人の友人を連れて行きたい。にだって、見栄はあるのだ。美人の友人がいれば、自分の格も上がるような気がする。
 というわけで茶会当日、は武子を連れて行った。ぎりぎりまで横取りされるのではないかと迷ったが、蒼紫が好きになったら、そのときはその時だ。全力で取り返す所存である。根性だけなら誰にも負けない。
「わあ、素敵なお庭!」
 の心配をよそに、武子は無邪気に喜んでいる。美人は心まで美人なものらしい。
 確かに『葵屋』の庭は素晴らしい。天気も快晴で、空の青さに紅葉が映える。
さん」
 二人で庭を楽しんでいると、蒼紫が声をかけてきた。
「うわっ?!」
 客に茶を出しているのかと思いきや、いきなりの登場である。は仰天した。
 しかし、いくら心の準備ができていなかったとはいえ、これは失礼な反応だ。蛇や蛙が出たわけでもあるまいに、びっくりしすぎである。
「うあっ……あ、いや、どうも………」
 武子がいれば何とかなると思っていたが、蒼紫がこんなに間近にいると、やはり挙動不審になってしまう。武子みたいに「あら、こんにちは」なんて、にっこり微笑んでみたい。
 早くも消えてしまいたいだが、蒼紫は特に気にしていないらしい。三度目ともなると、流石に慣れたか。これが通常だと思われるのは、としては困るのだが。
「そちらの方は、お友達ですか?」
「はい。津田武子と申します。さんにはいつも良くしていただいて」
 武子はすらすらと自己紹介をして、にっこりと微笑む。さりげなくを持ち上げるところも流石だ。何より、自分が美人だからか、蒼紫のような美形にも臆さない。
 本当に、美人はどこまでもうまくいくようにできているらしい。これではが引き立て役だ。
さん、あがり症ですけど、とてもいい人なんですよ。今日はお茶会にも誘っていただいて。本当に素敵なお庭ですわね。来て良かったわぁ」
「あっ……あっ……」
 今日の主役はのはずなのに、武子に持って行かれそうである。も横から割り込もうとするが、おっとりとした武子の喋りにすら割り込めない。
 このままでは、武子に全部持って行かれてしまう。場の空気が武子中心になるのも、男の関心が彼女に向けられるのも、は慣れている。今までは「またか………」と諦めていたが、今回だけは諦めたくない。
「喜んでいただけて良かった。お誘いした甲斐がありました」
 蒼紫の口振りまで、まるで武子を誘ったかのようだ。誘われたのはなのに。
「あ、あのっ……私も………」
「はい」
 も必死に話しかけるが、蒼紫は微笑むだけだ。明らかに武子の時と反応が違う。
 そりゃあ蒼紫だって、挙動不審な女よりも、武子のような社交的な美人がいいに決まっている。武子を連れてきたのは失敗だったかな、とは少し後悔した。
「とりあえず、あちらでお茶をどうぞ。眺めの良い場所を用意しました」
「まあ、ありがとうございます」
 何だか、蒼紫と武子の間で話が進んでいる。は完全に空気だ。
 本当は、武子の立ち位置が、の立ち位置だったはずなのに。あの半分でもちゃんと話せたら、とは悲しくなってきた。





 蒼紫が用意してくれた場所は、確かに庭が一番美しく見えるであろうと思われる特等席だった。料理や菓子を出している所から離れているせいか、人も疎らで、とても静かだ。
「素敵な場所ですわね」
 が言おうと思っていたのに、先を越されてしまった。
 武子はいつも、の言おうとすることを先回りする。本人には悪気は無いのだろうが、これではが蒼紫と話ができないではないか。
「こちらからお願いしたのですから、これくらいは………」
「あはっ、何か得した気分。ねえ、ちゃん?」
「えっ? あ、うん………」
 何だか、招待されたのはではなく、武子のような気分になってきた。
 それならも積極的に話しかければ良さそうなものだが、それができたら誰も苦労はしない。何か話そうとしても、武子が絶妙な間合いで喋り出して、は「あ〜」とか「う〜」とか、意味不明な音しかでないのだ。
 このままでは、此処に来た意味が無くなってしまう。は思い切って話題を振ってみた。
「このお部屋は―――――」
「このお部屋って、泊まれるんですか? 夜もきっと素敵でしょうね」
 が言う前に、またもや武子に先を越されてしまった。
 武子に悪気は無いのだ。ただ、間が悪いというか、思ったことを思った時に言わなければ気が済まない性格なのだ。付き合いの長いは理解している。
 けれど、こうも先回りされ続けると、は本当に困ってしまう。これではは黙って茶を飲むしかないではないか。
 本当なら、武子がいることで緊張が和らいで、蒼紫と普通にお喋りできるはずだったのに。蒼紫と沢山話して、次はの方が誘うことも考えていたのに。
 もう一度話しかけても、また武子と重なってしまいそうな気がする。そう思うと、迂闊に声も出せない。
 どうしようも無くて、黙って残り少ない茶を見つめていると、蒼紫が話しかけてきた。
さん、何か言いかけませんでしたか?」
「あっ、あの、私………」
 相手の目を見て話すのは、蒼紫の癖なのだろう。そういう風に見つめられると、二人きりでなくてもは緊張してしまう。
 紅くなってもじもじしていると、武子がけしかけるように横からつついた。
「ほら、ちゃんと話さなきゃ。それが目的で来たんじゃん」
「ちょっ………?!」
 ただでさえ紅いの顔が、ますます紅くなった。
 何故今、此処でそんなことを言うのか。武子に悪気が無いのは解っている。ただ、絶望的に考え無しなだけだ。
 そんなことを言われたら、はますます何も言えなくなってしまう。また呻くような変な唸り声を出してしまった。
「俺もそのつもりで招待したのですから、そんなに緊張しないでください」
 蒼紫が優しく語りかける。その一言で、の緊張はついに臨界点を突破してしまった。
「えっ、えっと、わた、私っ………」
 蒼紫もと話したかったなんて、どうしよう。いや、この茶会の券を貰った時に、それらしいことを言っていたではないか。蒼紫は最初から、と話すためにこの席を用意してくれたのだ。
 そう思ったら、嬉しいやら戸惑うやらで、は頭がくらくらしてきた。のどこを気に入ったのか判らないが、また話してみたいと思わせる程度には好意を持ってくれたのだ。
 蒼紫を失望させないためにも、何か気の利いたことを言わなければ。は必死に考える。
「凄く素敵なお庭で、私、こういう所は初めてで、その……こういう所に招待していただけて、あの………」
ちゃんも喜んでるみたいです」
 のぐだぐだした言葉を、武子が横から手短に纏めてくれた。まあ一言で言えばそうなのだが、自分の言葉で伝えたかった。
 長話は嫌われるのは解っている。特に蒼紫のような男なら、簡潔に纏めた方が好感度が上がるだろう。彼からは、無駄話を嫌うような雰囲気が漂っている。
 だって、要点だけを話すことくらいはできる。ただ、この極度の緊張が邪魔をするのだ。これさえ無ければ、武子以上に話せるのに。
「喜んでいただけて良かった。夜は……夜桜か観月会の頃が良いかと。今は冷えますから」
 蒼紫は、さやのぐだぐだっぷりは気にしていないらしい。本当は気にしているのかもしれないが、表には出していない。
 ぐだぐだになってしまうを鬱陶しいとも思わず、美人の武子にばかり注目するわけでもない蒼紫に、は心から感心した。やはり美形は心も美形だ。
「夜桜……いいなあ………」
 初めて、の素直な感想が出た。
 夜桜の季節は随分先で、それまで蒼紫と付き合いがあるかも判らないが、夜桜の庭を見たい。朧月と桜と、傍には蒼紫がいたら最高だ。その時は二人きりが良い。二人で桜を見上げて、武子のように楽しくお喋りをするのだ。
 その時のことを想像すると、はぽーっとしてしまう。と、蒼紫が話しかけてきた。
「その時はまた茶会をやりますから、是非」
「えっ? あ、うぁ………」
 「ありがとうございます! 嬉しい」と、武子のように軽い調子で言えばいいのに、は巧く言葉が出ない。自分の空想を見透かされたようで、恥ずかしくてドキドキしてしまう。
 そんなを横目で見て、武子は可笑しそうにくすくす笑った。
ちゃん、嬉しすぎて言葉が出ないみたい。ほら、呼んで貰ってばかりじゃ悪いから、こっちからも誘わなきゃ。カフェに行きたいって言ってたじゃない、二人で」
「うっ………!」
 そのつもりではあったが、またしても武子に先に言われてしまうと、心の準備ができていないは言葉が出なくなってしまう。
 今日は絶対、次の約束を取り付けたいと思っていた。そのために、前日から会話の流れを組み立てて、何度も頭の中で練習だってしたのだ。まあ、蒼紫の顔を見たら、全部吹き飛んでしまったが。
「かふぇ……ですか?」
 蒼紫は怪訝そうに首を傾げた。“カフェ”という単語そのものを知らないようだ。
「こっ、珈琲とか紅茶を出す専門店でっ……あの、珈琲とか紅茶とか好きですか? 私、紅茶が好きで、その……四乃森さんも一緒に………」
 頭の中で練習していたのに、いざ言おうとすると言葉がまとまらない。勝手に話を展開させて、おまけに相手が口を挟めない早口だから、蒼紫も戸惑っているようだ。
 それに気付いて、は慌てて口を閉じた。
 もう、簡単な会話も成立させられないなんて、は自分が恥ずかしくなってしまう。恥ずかしくて、膝で握り閉めた手に目を落としていると、蒼紫が落ち着いた声で訪ねた。
「二人で、ですか?」
「あ、いや、お嫌でしたら、あの………」
 やはり二人でというのは図々しかったか。こんな会話が成立しない相手と二人きりというのは、どう考えても辛すぎる。が逆の立場でも、嫌だ。
 が、蒼紫は好意的な様子で、
「向こうの茶は飲んだことがありませんので、楽しみにしています。いつが良いですか?」
「え?」
 予想外の返事で、は驚いて顔を上げた。無理しているのかと思いきや、本心で言っているようだ。
「えっと………」
 嬉しくて舞い上がりそうになりながら、は予定を思い出して考えた。





 結局、日取りも武子主導で決まってしまった。約束さえ武子頼みというのは情けない限りだが、まあいい。とりあえず目的は完了したのだ。
「良かったねぇ、次の約束もできて」
 帰り道、武子は我がことのように喜んでくれた。絶望的に空気が読めないだけで、根は良い人間なのだ。嫉妬もしないし僻みもしない。美人は心まで美人なのだと、は思う。
 本当に、一時はどうなるかと思ったが、次の約束を取り付けられて良かった。次こそはちゃんとしなければ。
「今日はありがとね。次は頑張るから」
「頑張らなくてもいいんじゃない?」
 の決意をくじくように、武子は軽く言う。続けて、
ちゃんって、頑張りが空回りする人だと思うの。普通で良いんだって」
「えー………」
 それは、頑張っても無駄ということか。しかし武子の言うことも尤もなだけに、は反論ができない。
 けれど、“普通に”というのも分からない。緊張しているから頑張って喋ろうとしているのに、頑張らなかったら何も言えなくなるではないか。
 悩むに、武子は不思議そうな顔をする。
「私とは普通に喋ってるじゃん。あの人とも、それで良いんだよ」
「そう言われても………」
 それができないから困っているのではないか。武子と蒼紫は違う。
「何で? あの人も普通に喋ってるよ? 好きな人が相手っていうのは同じなんだから、あの人みたいにすれば良いんだよ」
「えっ?!」
 は思わず奇声を上げた。
 武子はさらっと言ったが、とんでもない発言である。蒼紫ものことが好きだなんて。
 あんな美形が、みたいな十人並みの女を好きになるわけがない。いや、挙動不審なのだから、蒼紫の前のは十人並み以下だ。そんな女を好きだなんて。
 びっくりして挙動不審になるを見て、武子は可笑しそうに笑った。
「あんなの、判りやすすぎるよ。“さんさん”だし、わざわざ二人でいくのか確認してるし。来年のことも言ってるくらいだから、確実よ」
「そうなの?!」
 絶望的に空気の読めない武子の言うことだからあてにならないが、本当だったらどうしよう。期待しすぎるのは良くないが、希望は持ちたい。
 しかし、蒼紫はこんな自分のどこを気に入ったのか。現実的に考えると、思い当たるところがさっぱり見あたらなくて、は悩んでしまってしまうのだった。
<あとがき>
 主人公さん、テンパり過ぎだろ……。でも、次のデートに漕ぎ着けたみたいで良かった。
 次は主人公さんの慣れた場所だから、今度こそ上手くいく……かな?
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