ちょっとズレていることは誰にだってある
紹介されなかったの弟が会いに来たのは予想外だったが、話した感じは悪くなかった。少なくとも、との結婚に反対はしていないようだ。家での弟の発言力がどの程度のものかは分からないけれど、味方がいるに越したことはない。きっと、家に帰って両親を説得してくれることだろう。あとは、折を見て再度の家に挨拶に行くだけだ。弟の話では、父親の“考えさせてほしい”という返事は、そうするのが形式らしい。反対しないならさっさと承諾すればいいと思うのだが、簡単に承諾しないのは娘を安く見られたくない親心なのだろうと、白と黒の二人が言っていた。すぐに許されても、蒼紫はを安く見たりはしないのだが。
「そろそろお父上のお返事をいただきたいのですが」
「えっ………」
蒼紫が話を切り出すと、は緊張したようにびくっとした。
「何か都合の悪いことでも?」
「いえ、そんなことは………」
そう言いながら、は少し困った顔をした。
「どうしたんですか?」
「いえ……本当に私でいいのかなって。あんまり話が進みすぎて………」
話が進むのは良いことだと蒼紫は思うのだが、は違うのだろうか。縁談というのは早く進むのが良いと聞くし、互いにいい歳でもあるのだから、一日も早く承諾を得てを妻に迎え、子供が欲しいのだが。
蒼紫は既に、まだ見ぬ我が子の養育計画を立てている。武道は勿論、御庭番衆御頭に相応しい教養を身に付けさせなければならぬ。蒼紫のように世間知らずにならぬよう、には世間のさまざまなことを教育してもらいたい。
「こういうことは、あまり間を置くと良くないと聞きました。それに、早くさんをお迎えしたいのです」
「えっ……あ、はい………」
は耳まで紅くして、小さく頷いた。
そして再び、蒼紫をの両親に合わせることになった。二度目であることだし、今度は会話の流れを考えてくれると思いたい。
両親は蒼紫のことをとても変わった人だと言っていたけれど、悪い印象は持っていないようだ。会話が成立しないことに目を瞑れば、真面目で礼儀正しく、とても条件の良い男なのだ。この“会話が成立しない”というのが、一番厄介なのだが。
「まあ四乃森さん、いらっしゃい」
母親が華やいだ声で出迎えた。変わった人だと言いながら、母親はもう蒼紫に夢中なのだ。いい歳をして、美形に弱いらしい。
「お邪魔します」
蒼紫は軽く頭を下げた。姿勢が良いから、何をしても絵になる。
と、二階からパタパタと周治が下りてきた。
「あー、来た来た」
「どうも」
会わせた記憶は無いのに、互いに知っているような雰囲気だ。
「会ったことあるんですか?」
「男同士の秘密なので、お答えできません」
秘密だと言っているのに、蒼紫は堂々としている。少しは隠す素振りくらい見せてもらいたいものだ。
この様子から察するに、周治が蒼紫に会いに行ったのだろう。そして蒼紫に口止めをしたのだろうが、全く口止めになっていなかったようである。
一体何をやっているのかと周治を睨み付けると、ニヤニヤしている。こちらももう隠す気は無いようだ。
「さあさあ、上がってください。父も待ってますから」
周治も蒼紫を大歓迎のようだ。何を気に入ったのか分からないが、気に入るところがあったのだろう。そういえば、“姉ちゃんを貰ってくれるなんて、神様みたいな人”と言っていたし、何か関係あるのかもしれない。
何にしても、周治が蒼紫に懐いているのは良いことだ。母親と周治が蒼紫の味方なら、父親もこれ以上引き延ばすことはできまい。
「四乃森さん、どうぞ」
「はい」
が促すと、蒼紫は家に上がった。
母親と周治は蒼紫を気に入ってちやほやしているが、父親は渋い顔をしている。二人がちやほやするのが気に入らないのかもしれない。普段の自分の待遇とは違いすぎるのだから、面白くないのは当然のことだ。
しかも蒼紫は『葵屋』で大事にされて暮らしているせいか、ちやほやされても平然としている。少しは恐縮する素振りを見せてくれればいいのだろうが、そういう気遣いは分からないのだろう。
「こんな人がお婿さんになってくれるなんてねぇ。私がお嫁に行きたいくらいだわ」
よせばいいのに、母親は浮かれたことを言う。そんなことを言うから、父親がますますむっつりして微妙な空気になるのだ。
が、蒼紫はこの空気を全く感じていないらしい。表情一つ変えずに、
「残念ながら、重婚は犯罪になりますので」
「まあ、面白い方」
母親は冗談だと思って笑っているが、残念ながら蒼紫は本気で応えている。は頭が痛くなってきた。
あまり雑談をしていると、取り返しのつかないボロが出そうだ。こうなったらさっさと本題に入って、さっさと帰らせるに限る。
「今日はね、改めてお父さんに挨拶にいらしたの。この前はあまり話ができなかったから」
少し強引ではあるが、は話を本筋に戻した。
「私が料亭の女将なんて心配かもしれないけれど、『葵屋』の皆さんも協力してくれるって言ってくださってるし。あちらの方もいい人ばかりだし、私でもやっていけると思うの」
料亭の中なんて父親には未知の世界だから、心配などだとは思う。だって本当は不安だ。けれど不安な様子を見せたら、話が進まなくなってしまう。
蒼紫の方にちらりと視線を遣り、話を促した。
「そういうことなので、大丈夫です」
蒼紫の口からきちんと伝えて欲しいのに、この一言で終了である。蒼紫としてはが行ったから二度も言う必要は無いと思っているのだろうが、そういうことではないのだ。
打ち合わせをしておくべきだったかとが後悔していると、父親が重々しく口を開いた。
「心配なのは料亭ではなく、四乃森さんのことなのですが」
「お父さん!」
は思わず鋭い声を上げた。
父親の気持ちは痛いほどよく分かるが、それを言ってはお終いである。気を悪くしていないかと蒼紫を横目で見るが、特に何かを感じているようには見えない。鈍い男でよかった。
蒼紫は少し考えるような顔をした後、自信満々に、
「それは心配ありません」
ここ一ヶ月間で一番の“お前が言うな”だ。そもそも、こういうことは本人が太鼓判を押すものではない。
父親の方を見ると、完全に呆れ返っている。も呆れているのだから、二回しか会っていない父親なら尚更だろう。
父親は仕切り直すように一つ咳払いをして、
「四乃森さんは少々変わった方のようなので―――――」
「変わってるのは姉ちゃんも一緒だろ」
父親の言葉に、周治がボソッと突っ込む。そこはも否定できないが、こいつには言われたくない。
「周治!」
「だって、本当のことだろ。変わり者同士でお似合いだと思うけどなあ」
に睨まれても、周治は涼しい顔だ。本人は味方をしているつもりなのだろうが、その言い草が気に入らない。
むっつりしているの横で、蒼紫は冷静に、
「私も周治君の言う通りだと思います」
「四乃森さんも!」
蒼紫までをそういう目で見ていたのかと驚いた。自分のことは見えないというけれど、蒼紫のような聡明な男でもそれは同じらしい。否、蒼紫が変人だから、普通のが変に見えるのかもしれない。
はがっくりしているが、母親はにこにこしている。蒼紫が“お似合い”に同意したのが、よほど嬉しかったのだろう。“変わり者”にも同意しているのだが、そこはどうなのかと問い詰めたい。
「良いじゃないの。私も四乃森さんの言う通りだと思うわ」
「うーん………」
父親は渋い顔で唸る。
の立場で母親の言葉に乗るべきなのだろうが、何だか父親の味方をしたくなってきた。勿論、そんなことはしないけれど。
これで一応、三対一である。父親だって裏では良い話だと喜んでいたのだから、今日で話は決まるだろう。
予想通り、父親は渋々という形で結婚を承諾した。娘を高く見せることが目的なら、諸手を上げて賛成するわけにはいかなかったのだろう。親心というのは大変なものである。
形はどうであれ、承諾を得られたのなら、問題は無くなった。後は祝言に向けて両家の話し合いだけである。
「これで翁たちにも報告ができます。肩の荷が下りました」
父親から承諾をもらえるのは分かっていたが、一応のけじめがついて蒼紫も安心した。
が、は面白くなさそうな顔をしている。めでたく公認の仲になったというのに、何が不満なのか。
「どうかしましたか?」
「何か微妙………」
「まあ、男親というのは娘の結婚話は面白くないと聞きますし、快く賛成してもらえないのは仕方が無いと思います」
「そうじゃなくて!」
何だか分からないが、は怒っているらしい。今日の遣り取りを思い返してみるが、父親以外は機嫌良くしていたし、何も問題は無かったと思うのだが。
「四乃森さんまで私を変わり者だと思っていたなんて思いませんでした」
「ああ………」
そんなことかと、蒼紫は拍子抜けした。変なところに引っかかるものである。
個性の無いつまらない人間よりも、少し変わった人間の方が刺激があって面白いだろう。それに、蒼紫よりも付き合いの長い母親や弟が言うのだから、が変わっているというのは事実だと思う。
何より、次期御頭の母親になる女なのだから、平凡な女では困る。はきっと、多少のことでは動じない女だろう。
「ご家族がああ言ってらっしゃるのなら、やはりそうなのかなと」
「ひどい! 四乃森さんは私を普通だと思ってくれていると思ってたのに。もう帰ります!」
自分が感じたことを正直に伝えただけなのに、何故かは怒り出して踵を返した。
ちょっとズレてるどころじゃないような気がするけどな、特に蒼紫……。
“変わり者”という言葉を蒼紫は“人より優れている”という意味に取ったみたいだけど、全然違うから! だんだんコミュニケーション以前の問題になってきたよ。大丈夫なのか、この二人?