恋愛もビジネスも、データがあるとちょっと心強い
と出会ってから、蒼紫は大きく変わった。これまで触れたことの無いものに触れ、知らなかったものを知った。価値観も、少しずつではあるが変わったように思う。こんなことは御一新の時以来だ。御一新の時と違うのは、変化が楽しいこと。そして、皆が喜んでいることだ。のお陰で外出の機会が増え、普通になる努力をするようになったと言っていた。『葵屋』の者は皆、に感謝している。が『葵屋』に入ることになれば、皆歓迎することだろう。
蒼紫の妻になるものは『葵屋』の者たちに認められるような女でなければならない。人の上に立つ者は、自分の意志だけで妻を決めることなどできないから、が皆に認められるような女で幸いだった。
才能に恵まれ、『葵屋』の皆も認める女で、蒼紫に新しいことを教えながらも今のままで良いと言ってくれる女は、だけだ。きっとこれからも、の他に現れることは無いだろう。
となると、一刻も早くの身柄を確保しなければ、蒼紫が良いと思う女なのだから、他の男だって良いと思うに決まっている。他の男に取られる前に、話だけでも付けておかなくては。
以前、に結婚したいと言った時、まだ早いと言われた。互いのことをよく知らないからという理由だったから、互いのことを知った今ならもう大丈夫だろう。
そうとなれば、の両親に挨拶に行かなくては。結婚というのは家と家とのことだから、親の許しを得なくてはならないと、は言っていた。
「親か………」
蒼紫にとっては未知の存在である。を育てたのだから立派な人間だと予想するが、これまで蒼紫が殆ど接する機会の無かった種類の人間であることは間違いない。そういう種類の人間と蒼紫の価値観や常識は異なるであろうことは、容易に想像がつく。
前に些細な行き違いからを激怒させたことがあったけれど、彼女の親とは行き違いは許されない。初対面で怒らせるようなことがあれば、二度と挽回の機会は訪れないだろう。万全を期して臨まなければ、と別れることにもなりかねない。
これは、の両親がどんな人間か調査しなければ。相手を知ることが、勝利への第一歩なのだ。
対象者の調査は御庭番衆の得意分野である。一般人の調査なら、数日で完了するだろう。
の家族は、父母と歳の離れた弟が一人いるらしい。父親は役場勤めで、母親は針子の内職をしているようだ。どこにでもある一般家庭である。
父親は休日に公園で釣りをするくらいで、趣味らしい趣味は特に無いようだ。趣味の話題から切り崩そうと思っていたのに、これは困った。対する母親は社交的な性格らしく、近所のおかみさん連中と出かけることがあるようである。こちらも趣味は特に無いようだが、父親よりは懐柔しやすそうだ。弟は―――――こちらは操と変わらぬくらいの子供のようであるから、気にすることはあるまい。
もっと詳しく調べるには対象者に接触するのが手っ取り早いのだが、蒼紫がやっては挨拶の時に全てがバレてしまう。こういう時こそ般若がいればよかったのだが。
仕方が無いので、白尉と黒尉に頼むことにした。
「―――――というわけで、さんのお父上を重点的に調べてもらいたい」
白尉と黒尉を呼び出して依頼したところ、二人は困った顔をした。
「それは………さんに直接訊いた方がいいですよ。こそこそ調べるのは一寸………」
それが御一新前までの仕事だったというのに、黒尉は渋るような様子を見せる。
「娘からの印象と第三者目線の情報は違う。勿論さんにも訊くが、情報は多いに越したことはない」
「そうでしょうけど、こそこそ調べていることをさんが知ったら、不快に思われますよ」
「何故だ? 後ろ暗いところがなければ、別に困ることはあるまい」
白尉は説得するように言うが、蒼紫には意味が解らない。
の家族がどんな人間か知っておいた方が、挨拶の時にも話が弾むし、その後も付き合いやすくなるだろう。前情報無しで会いに行って、相手を不愉快にする方が失礼だ。
それに、調べられて困るようなことがなければ、も怒りはしないだろう。家のような平凡な一家に、蒼紫のような特殊な過去はあるまい。
白尉は心底呆れたように溜め息をついて、
「何もなくても、嗅ぎ回られること自体が不愉快なんですよ。まるでさんの家族を品定めしてるみたいでしょう」
「そういうものかな………」
のことを品定めするつもりは無いし、できる立場でもないと思っているのだが、調査をするというのはそういう風に取られてしまうのかと驚いた。調べられて困るとか困らないという問題ではないらしい。
「分かった。さんに直接訊いてみることにする」
からだけの情報だけでは不安だが、蒼紫は仕方なく言った。
「さんのお父上は、どんな方なのでしょう?」
会って早々にいきなり尋ねられて、はきょとんとした。
「どうしたんですか、いきなり?」
「そろそろさんのご両親に挨拶に伺おうかと思いまして」
「えっ?!」
蒼紫の発言はいつもいきなりだから大概のことに離れたつもりでいたが、これには心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。
挨拶というのは多分、結婚の申し込みのことだろう。随分前にも同じことを言っていた。あの時はまだ早いと断ったけれど、あれから日数も経ったからもう十分だと判断したのだろう。
今のが蒼紫の全てを理解できたかというと、まだ分からないところは沢山ある。というより、理解できたと思った先から新しい謎が出てくるというのが正しいか。蒼紫は奥が深すぎる。
しかし、こんなに熱心に言ってくれているのに先延ばしを続けていては、蒼紫もいい気持ちはしないだろう。結婚云々は置いておくとして、お付き合いをしているという挨拶くらいに留めておくか。それにしたって、突然蒼紫のような男が「お付き合いしています」なんてやって来たら、家族は腰を抜かすと思う。
「いきなり四乃森さんが来たら両親も驚くと思いますから、先に私が話して様子を見てみますわ」
「ご両親は気難しい方なのですか?」
何を想像したのか、蒼紫は怯んだ様子を見せた。
は慌てて、
「そんなことないですよ。普通ですって。ただ、いきなり四乃森さんがいらしたら、両親もびっくりすると思いますから」
「そうですか………」
蒼紫はまだ不安そうである。彼はあまり社交的な性格ではないようだから、の両親に会うということも精神的な負担になっているのかもしれない。
蒼紫の負担になるようであれば、挨拶はまだ先でもいいのではないかとは思う。ガチガチに緊張した状態で両親に会って、蒼紫が悪気無くとんでもないことを口走ったら大変だ。
「別に、うちの両親への挨拶は急ぐ必要は無いですから。四乃森さんがそんなに緊張なさるなら、もっと先でも良いですから」
「いや、こういうことは早くお知らせした方がいい。あまり先延ばしにすると、いい加減な男と付き合っていると思われます」
言っていることは正しいのだが、肩に力が入りすぎている蒼紫の姿を見ていると賛成はできない。そこまで力むことはないのではないかと思うのだが、男の立場だとそういうわけにはいかないのだろう。
の目から見ると、蒼紫と自分の両親を会わせたら、両親の方がガチガチに緊張しそうである。二枚目役者のような老舗の跡取りなんて、の家族がこれまで接したことのない種類の相手なのだ。きっと何を話せばいいのかも分からないだろう。蒼紫よりもの親の方が心の準備が必要だ。
「まあ、うちの両親も心の準備が必要だと思いますから、折を見てからにしましょう」
「うーん………」
蒼紫は納得していないのか、渋い顔をした。
いよいよご両親への挨拶となりました。しかし蒼紫よ、内緒で身辺調査はどうなのかな……。
まあ、相手に関する資料があれば、何となく心強いものです。活用できるかどうかは別にして(笑)。