再挑戦

 快晴だというのに雨傘を持って、は菓子屋の前にじっと立っている。かれこれ五分くらいだろうか。いい加減、店主もこちらを気にし始めている。
 『葵屋』に傘を返しに行くことにしたのだが、手土産を持っていくべきか、持っているならどの程度のものが良いのか、そこが問題だ。傘程度で菓子折りというのは大袈裟な気がするし、かといって手ぶらというのは失礼な気もする。
 菓子折りを持って行くなら行くで、値段も問題だ。あまり立派なものを持って行ったら退かれるような気がする。かといって、いかにも安物なのは論外だ。
 そもそも蒼紫は菓子を食べるのだろうか。どうせ手土産にするなら、彼が好きなものが良いに決まっている。問題は、蒼紫の好みが判らないということだが。
 となると、『葵屋』の使用人にも配れる菓子が無難か。煎餅なら休憩のお茶請けにもなる。変わった洋菓子より当たり外れも無いだろう。
「よし!」
 拳を握りしめ、店の前で気合いを入れる。自分の優柔不断ぶりには自信があるから、菓子折り一つ買うにも気合い入れが必要なのだ。傍から見たら、菓子を買うのに鼻息を荒くしてる変な女だが。
 は店に入り、一直線に店主に歩み寄る。
「この煎餅の詰め合わせ、ください! 贈答品で!」
 たかだか煎餅を買うのに、軍隊の点呼かと思うような気合いの入りっぷりだ。店主は明らかに退いている。
「こ……こちらの二十枚入りで宜しいですか?」
「はい! ……あ、でも贈答品は大袈裟かなあ………」
 ここに及んでまた迷いが出た。
 たかだか煎餅二十枚に“贈答品”はちぐはぐな気がする。高級老舗の煎餅ならともかく、こういってはアレだが、どこに出もあるような個人商店の煎餅なのだ。
「じゃあ、熨斗無しの包装で良いですか」
 流石商売人だけあって、多少変な客でも動じずにあしらっている。案外、のような客は珍しくないのかもしれない。
「はい、お待たせしました」
 てきぱきと包装して、店主はに菓子折りを渡す。大仰でもなく、安っぽくもなく、適度な包装だ。これなら傘の礼としては適当だろう。
 これを持って行けば、蒼紫とも上手く話せるような気がしてきた。
 代金を払い、はいくらか緊張が解れた様子で店を出た。





 一端は落ち着いたものの、『葵屋』が見えてくると、また心臓がバクバクしてきた。
 常識の範囲内での手土産は持った。化粧だって、前回よりもばっちりだ。
 女というのは不思議なもので、がっつり化粧をしていると、妙に自信が出るものだ。今日の顔なら、蒼紫相手でも挙動不審になることは無いだろう。
 美形とはいっても、同じ人間。萎縮することも、過剰に遜ることもない。
 自分にそう言い聞かせてもう一度気合いを入れ直すと、は『葵屋』に入っていった。





 建物は大きくはないが、玄関からいきなり老舗の雰囲気が漂っている。今は客がいない時間帯なのだろうか、とても静かだ。こういう商売は夜が本番なのだろう。
「ごめんくださいませ」
 自分を鼓舞するのも兼ねて、は声を張り上げた。
 が、相変わらずしんと静まり返っている。玄関の感じであまり広くないと思っていたが、意外と奥行きがあるのだろうか。
 もう一度声を出そうと口を開きかけた時、微かな衣擦れの音と共に仲居が出てきた。
「いらっしゃいませ。お食事でしょうか、お泊まりでしょうか」
「あっ……あの………」
 正座している仲居を見下ろしたまま、は一旦言葉に詰まる。
 小走りと言っていいくらいの速さで出てきたというのに、この仲居は全く足音が無かった。一体どんな足運びをしているのか、には不思議でならない。
 不思議だが、高級料亭というのはそういうものなのだろうと解釈した。裏方と思われる蒼紫も、振る舞いは驚くほどきちんとしていた。
「私、こちらの方に傘を借りしておりまして………。と言っていただければお分かりになられるかと思います。いらっしゃいますでしょうか」
 落ち着いた声でそう言いながら、は蒼紫から貰った名刺を差し出す。
「ああ………」
 どうも仲居はのことを知っているらしい。声の感じで直感した。
 まあ、あれだけ挙動不審にしていたのだから、話の種にされるのは仕方がない。無口そうに見えたが、蒼紫だって他の使用人と話すこともあるだろう。面白可笑しく話したとは思わないが、事実に忠実に話しても、はおかしな女だと思われているに違いない。
 そう思うと、さっきまでの自信は何処へやら、急に気まずくなってしまう。
 が、仲居は特に気にしていないようで、
「それでしたら奥へどうぞ。今でしたら蒼紫様もお暇でしょうし、ゆっくりなさっていってくださいな」
 仲居の様子では、は不審者とは思われていないようである。相手は客商売であるから、本心を出していないだけなのかもしれないが。
「お邪魔します」
 相手の本心が読めないだけに、の動作は慎重になる。粗相の無いように注意しながら、ゆっくりと中に上がった。
 それにしても、先日の少女といい、この仲居といい、『蒼紫“様”』と呼ぶのはどういうことなのだろう。番頭か何かなのだろうか。
 しかし、番頭にしては歳が若すぎる。もしかして御曹司だったりするのだろうか。
 不躾かとは思ったが、は思いきって訊いてみた。
「あの、四乃森さんは、番頭さんか何かなんですか?」
「え?」
 仲居が怪訝な顔をする。
「あ、いや……この前の女の子も、“蒼紫様”って言ってたんで、偉い人なのかな、って………」
「う〜ん……世間的には“若旦那”って感じですかねぇ」
 仲居の口調は何となく歯切れが悪い。
 『世間的には“若旦那”』という言い方もこれまたおかしな表現である。よく解らないが、とりあえず蒼紫はそれなりの立場の人間であるらしい。
 これ以上質問しても仕方が無いので、は黙って仲居についていった。





「蒼紫様、いらっしゃいますか」
 住まいと思われる建物の一番奥の部屋の前で、仲居が声をかける。
「ああ」
 中から返事が返ってきた。
 その声だけで、の緊張が限界まで高まる。掌がじんわりと湿ってきた。
 化粧も髪もバッチリ、着物にも気を遣っているし、相手に気を遣わせない程度の手土産も持参している。今回はどこにも抜かりはないはずだ。ここまで緊張することはない。
 そう自分に言い聞かせるものの、緊張は全く治まらない。逆に前回よりひどいくらいだ。
 幸いにも仲居は部屋の方しか見ていないから、の状態には気付いていないようだ。今のの顔を見られたら、不審者確定である。
様という方がみえられたのですが、今、大丈夫ですか?」
「ああ」
 ガタガタと何かを動かす音がした後、襖が開いた。
「散らかってますが、どうぞ」
「はっ……はいぃっ!!」
 緊張のあまり、裏返った変な声が出た。声だけでも緊張最高潮だったのだが、姿を見たら臨海点を突破してしまった。
 仲居が小さく笑ったような気がした。笑われて当然のことをしでかしたのだから仕方が無いが、不思議と厭な感じの笑いではなかった。
「ささ、どうぞ」
 仲居に促され、はぎくしゃくと部屋に入る。
「すぐにお茶をお持ちしますね」
 笑いを噛み殺しているのか、仲居は二人から微妙に顔を逸らしてそう言うと、襖を閉めた。
 完全に二人きりである。しかも前回と違って対面だ。もうこの状況だけで頭に血が上って、何をしようにもいっぱいっぱいになってしまう。
 とりあえずやるべきことは、先日の礼だ。これを上手くこなせれば、あとは何とかなりそうな気がする。
「あっ、あのっ……こっ、この間はありがとうございましたっ」
 深々と頭を下げながら、はずずっと傘を押し出す。
「ああ、そんなに気を遣っていただかなくてもよかったのに」
「へっ?」
 それは菓子折りを出してから言う台詞である。の礼の仕方が仰々しすぎたかと思いながら顔を上げると―――――
「あっ!!」
 傘を出したつもりが、先に菓子折りを出していたのだ。手触りで気付きそうなものなのに、全く判らなかった。
「あっ……違っ……! 間違えたっ! そっちじゃなくて、こっち! いや、そっちもそれでいいんですけどっ………!」
 首まで真っ赤にして、はあたふたしながら傘を出す。
 よく考えれば、どっちを先に出しても構わないのだが、予定していた流れが狂うと、それだけでどう進めて良いのか分からなくなってしまう。何とかして流れを戻そうと考えれば考えるほど焦ってしまって、もう自分でも訳が分からない。
「あの、大丈夫ですから。落ち着いてください」
 一人で興奮しているに、蒼紫は宥めるようにゆっくりと語りかける。
「はいっ! 大丈夫っ! 大丈夫ですから!」
 応えるは鼻息は荒いわ、顔は相変わらず真っ赤だわで、全く大丈夫ではない。
「えーっと………」
 どうしたものかと、蒼紫は困った顔をする。困っているのはも同じだ。自分でも、どうにもこうにも収拾がつかない。
 と、襖の向こうから、女の声がした。
「失礼いたします」
 襖が開いて、さっきとは違う仲居が入ってきた。
 気のせいか、茶を出しながら観察されているような気がする。多分、の自意識過剰なのだろう。
 けれど、仲居が入ってきたところで、も少し落ち着いたような気がした。蒼紫と二人きりなのが問題なのであって、誰かがいてくれれば緊張は和らぐらしい。
「お増、頂き物だ。後で皆で分けてくれ」
「まあ、ありがとうございます」
 お増と呼ばれた仲居は菓子折りを受け取ると、に笑顔を向ける。
「いえ、つまらないものですが………」
 思ったよりも落ち着いて応えることができた。この調子を保つことができれば、何とかなる。
「それでは、ごゆっくり」
 にこやかに会釈をして、お増は出ていった。
 再び二人きりである。
 ごゆっくり、と言われたものの、にはこれといった話題がない。そもそも、蒼紫の部屋に通されることが想定外だったのだ。二人で何かを話すなんて、考えてもいなかった。
「あの……この間はいろいろ失礼しました。何か緊張しちゃって………」
 とりあえず今のに話せることは、これくらいのものである。
さんは、一対一で話すのは苦手な方ですか?」
「そうですね……慣れたらそうでもないんですが、知らない人とは………」
 お増との様子を見て、蒼紫は二人きりという環境がいけないと考えたらしい。本当の問題はそこではないのだが、正直に話すとややこしくなりそうなので、は肯定した。
 一対一だから緊張するのではなく、相手が蒼紫だから緊張するのだ。こんなに胸がドキドキしたり、もの凄い勢いで血が上ったり下がったりなんてことは、今まで無かった。
「それなら、慣れたら普通に話せるようになりますか?」
「へっ?」
 蒼紫が何を言っているのか理解できない。
 確かに、慣れれば普通に話せる可能性はあると思う。何度も会えば、役者のような美形も、並より少し上くらいの感覚になるだろう。それくらいの相手なら、も普通に話せるはずだ。
 だが、これには問題がある。蒼紫と“継続的に”会う必要があるのだ。傘を返したらそれで終わりと思っていたが、ひょっとしてまた会う機会が出来るのだろうか。
「今度、うちで茶会をやるのですが、券が二枚ありますので、ご友人の方と一緒にいかがですか? 勿論、これは差し上げますので」
「え?」
 何がなんだか訳が分からない。茶会の券をくれるということは理解したが、何故にくれる気になったのかが解らない。
 ぽかんとしているに、蒼紫が説明する。
「これに俺も出ることになったのですが、ああいう人前に出る席は苦手で………。かといって主催者が黙って突っ立っているわけにもいかないので、さんが来てくだされば多少は違うのではないかと」
「ああ………」
 落ち着いているように見えていたが、蒼紫も彼なりに緊張していたのかもしれない。人見知りの悩みはにもよく解るから、蒼紫の苦労も想像できる。
「あ…私で良ければ、その………」
 友達と一緒で良いというのなら、今日ほど挙動不審になることはないだろう。しかも三度目なのだから、いい加減慣れてもいい頃だ。
「ありがとうございます」
「あ、いえ、そんな……こちらこそ、券をいただいて………」
 蒼紫から礼を言われるなんて、こちらが恐縮してしまう。料亭の茶会の券なんて、こちらが礼を言う立場なのに。
「では、これを。再来週の日曜日ですので、宜しくお願いします」
 蒼紫は文机の引き出しから封筒を出し、に差し出す。
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく………」
 再来週―――――これで縁が切れると思っていたら思いがけず次の機会が舞い込んできた。また蒼紫に会えるのかと思うと、心臓が破裂しそうだ。
 ひょっとしてこれは、次の展開への布石なのだろうか。否、あまり浮かれていると、“たまたまいたのがだったから”なんて場合のがっかり感は半端ない。
 あまり期待せずにおこうと思いつつも、一寸は期待したいだった。
<あとがき>
 やっぱり主人公さんダメダメすぎる……。お陰で蒼紫がしっかり者に見えますな。
 うん、次こそ、次こそ頑張ろうね(笑)。
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