いつでも予想の斜め上

 誤解は解けたし、蒼紫がとのことを真剣に考えていることも分かった。同時に蒼紫の抱える問題点も分かってしまったわけで、それがには難儀なことだ。
 同じ言語を使っているのに会話が成立しないなんて、には初めての経験である。まったく成立しないならまだしも、中途半端に成立することもあるのだから性質が悪い。何気ない会話ですら、どこまで言葉のまま受け取っていいのか、常に考えていかなければならないのだ
 例えば錦絵新聞の感想や、買い物の時に商品について話し合うのは問題無い。浮世離れしていると思うことはあるけれど、それは育ってきた環境の違いだろう。
 問題はそれ以外の、特に目的の無い雑談である。話がいきなり飛ぶことはにもあることだが、蒼紫の場合はただ事ではない。逆に、既に終わった話に固執していることもある。違う話に移っているのか、前の話に戻っているのか、いちいち確認しないと分かりづらいというのも困りものだ。
 他人との意思疎通が難しいのは、蒼紫の中で会話の筋書きが決まっていて、それを相手も理解していると勝手に思い込んでいるせいなのだろう。そんなことはないのだとは何度も言っているのだが、蒼紫はあまり理解していないようだ。もしかしたら、自分と他人の境界が曖昧なのかもしれない。
「四乃森さん、今までこういうことはなかったんですか?」
「こういうこと?」
「自分の言ったことが上手く伝わらなくて揉めたりとか」
「無いです」
 思い切って尋ねてみたのだが、蒼紫は碌に考えもせず即答だ。そう言われると、の方がおかしいような錯覚に陥ってしまいそうになる。
 確かにも察しの悪いところがある。組み合わせの問題で、別の相手だったら上手く会話が噛み合うのだろうか。だとしたら、と蒼紫の相性は最悪ということだ。
 我が身を振り返ってが悶々と考えていると、蒼紫が思い出したように言った。
「話すのは付き合いの長い者たちばかりだから、察してくれているのかもしれません」
「他所の方とはあまり話さないんですか?」
「もともと出歩かない性質なものですから。家にいても、一日中誰とも話さないこともあります」
「はあ………」
 同居人がいるのに誰とも話さない日があるなんて、には考えられないことだ。広い屋敷に住んでいれば、そういうこともあるのだろうか。
 家族同然の相手とは普通に意思疎通ができているということは、他人との会話の経験が足りないということなのか。否、あの状態で「一人で話せる」と言い切る男だから、意思疎通ができていると思っているのは本人だけという可能性もある。『葵屋』の者たちは蒼紫がどんな人間か理解しているから、彼の出す少ない情報から全力で察して会話を成立させているのかもしれない。
「そんなに難しく考えることはないと思います。みんなができていることですから」
 蒼紫は慰めているつもりなのだろうが、それは彼が言う台詞ではない。やはり本人には自覚が無いのだ。
 箱入り息子という言葉があるか知らないけれど、あるとしたら蒼紫がそれだ。『葵屋』の中で大事大事に育てられて、おかしな方向に成長してしまったのだろう。親代わりといっていた翁は、一体どんな育て方をしたのか。
「四乃森さんは子供の頃、同じ年頃の子供と遊んだりしました?」
「遊ぶ……というか、修行はしていました」
「修行?」
 修行とは、また随分大袈裟な表現である。多分、旅館経営の勉強のことなのだろう。丁稚奉公の子供と一緒に仕事をしていたのかもしれないと、は解釈した。
「その時は、喧嘩をしたりとかなかったんですか?」
「俺とまともにやり合えるのは熟練の者くらいでしたから」
 いくら子供とはいえ若旦那なのだから、面と向かって言い合えるのは番頭くらいなものだったということか。実質、大人に囲まれて育ったようなものである。
 今の蒼紫があるのも、そんな特殊な環境のせいだったのかもしれない。対等な人間関係を知らずに育つとこうなってしまうのかと、は改めて思った。
 そうなると、いつかと蒼紫の間に子供が生まれたら、何が何でも同じ年頃の子供と交流を持たせなくてはいけない。人間関係というのは遊びの中から学ぶものだと、新聞で偉い人が書いていた。
「子供のうちは、同じ年頃の子供と関わるのが一番ですわね。大人に囲まれて育ったら、周りが察して先回りしてしまいますもの」
「確かに、同じ年頃の子供と互いに高めあうのは大事なことだと思います」
 蒼紫もの意見に同調する。もしかしたら自分の子供時代を振り返ってみて、何か思うところがあったのかもしれない。
 蒼紫も蒼紫なりに考えてはいるのだ。意思の疎通がとずっと考えていたけれど、は焦りすぎていたのかもしれない。大人になって、今までの考えを改めるのは大変なことなのだ。蒼紫については、もっと長い目で見ていかなくては。
「四乃森さんも、これからは『葵屋』の方以外とも交流を持つべきですわ。それで新しい発見もあるでしょうし」
 子供時代は取り戻せないが、これから同年輩の人間と交流を持つことはできる。例えば、近くの若旦那衆と出歩くというのもいいだろう。は詳しいことは知らないけれど、同業者でそういう会合もあると聞いている。
「ああ、それはいいかもしれません」
 蒼紫も積極的に賛同する。彼自身も、自分を変えるいい機会だと思っているのかもしれない。
 本人が積極的なら、案外早く改善ができる気がしてきた。
「私で協力できることがあれば何でもしますから、遠慮なく言ってくださいね」
 蒼紫が会合に出席するなら、も手伝いに呼ばれることがあるかもしれない。自分も人見知りなんて言わずに頑張らなければと奮起した。





 これまで考えたことも無かったけれど、他流派の道場に通うのも勉強にはなる。御庭番衆の修行では扱わなかった技もあるかもしれない。町道場でやる剣術は実戦向きではないと軽視していたけれど、一人で鍛錬するよりいくらかはましである。
 は武術には素人だが、素人だからこその思い付きだとも言える。実戦的ではないとか、流派がとか蒼紫は固定観念に囚われすぎていた。
 というわけで、近辺の道場のチラシを貰ってきたのだが、どこが良いのかさっぱり分からない。どこも初心者歓迎を強調していて、蒼紫を受け入れてくれるか疑問だ。しかも、どこの道場も竹刀を使用しているらしい。稽古は木刀に限ると蒼紫は思うのだが。
「どうしたんですか、そんなものを見て?」
 茶を持ってきたお増が怪訝そうに尋ねた。
さんが、他の流派を勉強しろというのでな。しかし、今の道場は軟弱なところばかりだ」
さんが、ですか?」
 お増はますます怪訝な顔をした。
 は蒼紫が御庭番衆御頭だったことは知らないのだ。当然、武術をやったことも知らないはずなのに、何故他流派への入門を勧めるのだろう。
 これはまた、蒼紫が勝手な解釈をしている可能性が高い。お増は確認のために一応訊いてみた。
さんは、蒼紫様が武術をやっていたことをご存知なんですか?」
「いや。そんな話はしていない」
「じゃあどうして剣術道場への入門なんか?」
「『葵屋』の外の人間との交流もしろと言われたんだ。確かに同じ相手との鍛錬では、進歩が無い。さんはよく分かっている」
 蒼紫は感心しているが、多分の意図は違うところにあると、お増は思う。は蒼紫のことを旅館の若旦那と思っているのだ。それで剣術道場への入門を勧めるというのは話が繋がらない。
 きっとは、その辺の若旦那や旦那衆との集まりに参加したり、気の合う相手と出歩けと言いたかったのだろう。普通ならそう解釈するはずなのだが、何故蒼紫の頭の中でそんな変換がなされたのか。
さんは蒼紫様が武術をやっていたことを知らないのですから、それは違うと思いますよ」
「でもさんはそう言って―――――」
「普通に考えて、素人だと思っている相手に、いきなり剣術道場を勧めますか?」
 お増の言葉に、流石の蒼紫もおかしいことに気付いたか、一旦考え込んだ。が、すぐに閃いたように、
「俺の身のこなしで、何か感じ取ったのかもしれない。いつだったかも、俺と一緒なら夜道も安心だと言っていた。きっと早いうちから俺の能力を見抜いていたのだ」
「〜〜〜〜〜〜」
 その発想は無かった。明らかに素人の女に、そんな見極めができるはずがないではないか。
 蒼紫はいろいろと間違いすぎている。普通とはかけ離れた生活だったから、“普通の人”の会話の解釈が難しいのはお増も理解するが、これは酷い。
 お増は心を落ち着け、子供に諭すように言う。
さんは武術のことを言っていたのではなくて、人付き合いの練習をしろと言ってるんです。話し方とか、相手の言いたいことを察するとか」
「しかし、子供には同年輩の相手と互いに高め合わせたいと言っていたぞ」
 蒼紫は全く納得していないように反論する。お増も負けずに、
「それは蒼紫様のようにならないように、子供のうちから人付き合いを学ばせたいといってるんです。大体、御庭番衆だったことを知らない人が、鍛錬なんて思いつくはずがないでしょう」
「俺のようにしたくないというのか」
 人付き合いに限っての話をしているのに、蒼紫は自分を全否定されたと受け取ったらしい。話の一部だけを聞いて思い込むのは、彼の悪いところだ。もそれを矯正したいのだろう。
「人付き合いについてはそうでしょうね」
「そうなのか………」
 思いのほか、蒼紫は傷ついたようである。今まで誰も指摘しなかったから、今になって現実を突きつけられて衝撃を受けたのだろう。
 これまで指摘しなかったのは、完全にお増たちの落ち度だ。蒼紫だけを責めるわけにはいかない。だからこそ、と協力して教えていかなければならないと思っている。
 蒼紫のあまりの落ち込みように、お増の方が驚いた。のおかげで前向きになれたのに、これが引き金でまた引きこもりに戻ったら大変だ。
 お増は慌てて優しい声音で、
「でも、他所の人とお付き合いするようになったら、すぐに解決ですよ。さんと一緒なら大丈夫ですって」
「………そのうち、さんも嫌にならないだろうか。子供を俺のようにしたくないというのなら―――――」
 普段の蒼紫からは考えられない後ろ向きな発言である。が絡むとこんなに落ち込むなんて、これは本気で惚れている。
 お増のせいで破局なんてことになったら大変だ。必死になって蒼紫の気持ちを盛り上げようとする。
「蒼紫様には蒼紫様の魅力があります!だからさんも今まで付き合ってるんじゃないですか。もっと好きになってもらうために、自分を磨くんですよ! 自分磨きの修行ですよ!」
「修行か………」
 考え込んだまま、蒼紫はぽつりと呟く。
「これまでは御庭番衆の修行だったですけど、これからは普通の男性の修行なんです。頑張りましょう」
「………うん」
 お増の励ましがどこまで届いたか分からないが、蒼紫は小さく頷いた。
<あとがき>
 この蒼紫の発想はいつも独創的なので、これを他の何かに生かせないものか。旅館の若旦那で終わらせるのは惜しい人材だと思うんだけど。周りは、旅館の若旦那で終わってくれと思ってそうだが(笑)。
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