意外な一面
夏といえば花火大会である。花火大会といえば、微妙な関係の男女が一気にお近付きになれる絶好の機会だ。実際にお近付きになれるのがどの程度なのか分からないが、世間ではそういうことになっている。そういうわけで、と蒼紫も花火大会に行けば、親密度がぐっと上がるはずなのだ。今も親しいと言えば親しいと思うけれど、これといった決定打が無い。ここで一気に攻め込むべきだろう。
調べてみると花火大会は結構やっているらしく、近場でも大きなものがあるみたいだ。人が多いのが難点だが、今回は我慢しよう。
「うーん………」
花火大会といえば浴衣である。一昨年買ったものがあるけれど、あれでいいのか悩ましいところだ。見た感じ、蒼紫は派手好みではないような気がするが、あんまり地味なのもどうかと思う。それとも意外と派手なのが好きなのだろうか。
考えてみれば、は蒼紫の好みをよく知らない。この前の簪は褒めてくれたから地味好みだと思うが、小物は地味なのが好きで、着物は華やかなのが良いと思っている可能性もある。
どうせ会場は暗いのだし、蒼紫は女の格好には全く気付かない男だとお近は言っていたけれど、浴衣は新調した方が良いのだろうか。新しいに越したことはないけれど、いかにもな新品は気合が入りすぎて狙っているようにも見えそうだ。かといって前にも買ったものだと、どうでもいいと思っていると思われそうである。
たかが花火大会に行くだけの話なのに、の悩みは尽きない。
「………花火大会?」
お近とお増の二人に出されたチラシを見て、蒼紫は怪訝な顔をした。
人込みが嫌いなことは『葵屋』の誰もが知っているから、蒼紫はこれまで花火大会に誘われたことが無い。たまに操が誘いに来ることがあるが、毎回断っている。
そんな感じだから、いつもは黙って置いて行かれてばかりで、お近とお増が二人してチラシを持ってくるなんて珍しい。
「せっかくですからさんを誘われたら如何です?」
何がせっかくなのか解らないが、有無を言わせぬ雰囲気でお近がチラシを押し付ける。
「そういう所は好きじゃない」
「好きとか嫌いとか甘えたこと言ってる場合じゃないでしょう。こういうところから努力しないと!」
何故かお近に叱られてしまった。
人込みが苦手だというのは、甘えらしい。蒼紫には解らないが、お増も頷いているし、世間ではそういうものなのかもしれない。
しかし蒼紫の生活において、人込みが嫌いでも困ったことは一度も無いのだ。それどころか、人がいない穴場を見つけることが出来るのだから、わざわざ克服するほどのものではないと思う。
「今のままでも問題は無いと思うが」
「駄目ですよ!」
今度は二人同時に駄目出しをされてしまった。
「そんなだから蒼紫様は駄目なんですよ! 夏なんですよ! 今出なくていつ出るんですか!」
お増が熱くなるのも解らないが、人格否定はますます解らない。お増に否定されるほど、蒼紫は酷い人間ではないと思うのだが。
お近も一緒になって、
「夏といえば祭りに花火大会に、行くところはいくらでもあるでしょう。急接近鉄板の季節なのに、何やってるんですか」
「て……鉄板………?」
よく解らないが、夏というのは重要な季節らしい。それを“人込みは苦手”という理由でいつも通り過ごすのは、人格を否定されるほどの悪行のようだ。
蒼紫には理解できない理屈だが、世間がそう思っているのなら、きっとそれは正しいのだろう。これまでの人生を振り返り、蒼紫は深く反省した。
「とにかく、さんをこれに誘ってください! いいですね?」
「あ……ああ………」
お近の気迫に押されて、蒼紫は思わず返事してしまった。
蒼紫から花火大会に誘ってみたら、は大喜びしいていた。お近とお増が言っていた通り、花火大会というのは特別なものらしい。
「四乃森さん、こういうところはあまりお好きじゃないと思ってたんですけど」
「まあ、いろいろ思うところがありまして………」
蒼紫は言葉を濁す。お近とお増に言われたからと言ってはいけないと、しつこく注意されているのだ。
歯切れの悪い蒼紫の口調に気付かないのか、は嬉しそうに言う。
「いつもは行かないんですか?」
「まあ………」
本当は嫌いだと言いたいところだが、そこは黙っている。喜んでいるには言いづらい。
それにしても、凄まじい人である。この暑い中、他に行くところが無いのか知らないが、ご苦労なことだと蒼紫は思う。
この分では、会場に着く前に花火が始まりそうだ。打ち上げ花火なら此処からでも見えそうではあるが。
「どこかに部屋を取った方がよかったか………」
辺りを見渡して、蒼紫は独り言のように呟いた。
此処まで来て気付いたのだが、料亭が何軒もあるではないか。二階の部屋を借りれば、料理をつまみながらゆったりと花火見物ができたのだ。
が、は何故か恥らうように顔を紅くして、
「お部屋なんて、そんな………。まだ早いですわ」
「は?」
何が早いのか、蒼紫には謎である。どう見ても二階の客室は何処も予約が入っているようで、下手をすれば一週間前でも遅かったかもしれないというのに。
「こういうところの予約は早いですから、今から取ろうとしても無理ですよ。もっと早くにお約束していれば、涼しいところで見られたのですが………」
「あっ………! そ……そう、そうですね! やだ、私ったら………」
何だかよく解らないが、は一人で照れている。お近といいお増といいといい、女の思考回路は蒼紫には謎過ぎる。
「でも花火は近くで見るのが迫力があって良いですよ」
気を取り直したようにが言った。がそう言うのなら、そういうものなのだろう。花火大会というのは単に花火を見るだけでなく、音や会場の雰囲気も楽しむものなのかもしれない。
しかし音にしろ雰囲気にしろ、会場に辿り着かなければ話にならない。さっきから前に進む様子も無いし、このままでは此処で花火見物をする羽目になりそうだ。
どうしたものかと蒼紫が考えていると、が思い出したように言った。
「そうだ。一寸遠回りになるけど、抜け道があるんですよ。こっちです」
その抜け道とやらも渋滞しているのではないかと蒼紫は思ったが、強引に手を引かれると言い出しづらい。黙っての後を付いていった。
の言う抜け道は、思ったより人は多くなかった。表通りほど灯りがないから、あまり人が通りたがらないのだろう。
「女同士なら危ないですけど、今日は四乃森さんが一緒だから安心ですね」
「うーん………」
は蒼紫が御庭番衆だったことは知らないはずだが、“男連れなら暗い道も安心”というのが世間の認識なのだろう。男なら誰でも暴漢や痴漢を撃退できるとは限らないのだが、まあ蒼紫なら撃退は出来るから黙っている。
しかしこんな抜け道を知っているなんて、の方がこの辺りの土地勘があるらしい。男が何でも知っているべきだとは思わないが、女の方が何でも知っているというのは少しばかり調子が悪い。やはり外に出るべきだと、蒼紫は少し反省した。
「あ、此処は段差があるから気を付け―――――」
そこまで言ったところで、突然の姿が消えた。
「え………?」
一瞬、何が起こったのか蒼紫には理解できなかったが、どうやらが足を踏み外して転んだらしい。しかも、見事な一回転である。
「えっ?! ちょっ………?!」
“気を付けて”といった当人がこれか、とか、どうやったらそう派手に転べるんだ、とか突っ込みどころは幾つもあるが、それどころではない。こんなに派手に転んだとなると、頭を打っているかもしれない。
「さ………」
「いった〜………やだ、私ったら!」
蒼紫が声をかけると同時に、は素早く立ち上がった。あんなに派手に転んだのが嘘のような反応である。
とりあえず頭は打ってはいないようで安心した。それにしても、あの派手な転倒ですぐさま立ち上がるなど、大したものである。しかも怪我はしていないようだ。
見た目は大丈夫そうだが、礼儀として一応蒼紫も尋ねてみる。
「あの、怪我は………?」
「あ、大丈夫です! 私、転び慣れてますから!」
妙にハキハキと応えられてしまったが、こういう時のは、大抵動揺している。そもそも“転び慣れている”とは一体何なのか。そんなに日常的に転んでいるのかと蒼紫は思ってしまう。
日常的に転んでいるとしても、こんなに派手に転ぶものなのだろうかと蒼紫としては突っ込みたくなるが、なりの対策なのかもしれない。あんなに派手に転んで怪我一つ無いなんて、器用に受身を取ったのだろう。並の女に出来る業ではない。
派手に転んだように見せかけて無傷だなんて、は見た目によらず運動神経が良いのだろう。もしも御庭番衆にいたら、意外と良いところまでいっていたかもしれない。
「怪我が無いならいいですけど………」
この反射神経と運動神経を転んだ時の対策としてしか使わないなんて、才能の無駄遣いのような気がしてならない。もう少し早く蒼紫と出会っていれば、隠密か格闘家として大成したかもしれないというのに。
今から鍛えても遅いということが解っているだけに、蒼紫にはの運動神経が惜しい。今からでも何かに生かせないかと考えてしまう。
「あなたとはもっと早くに出会いたかったと思います」
体力的な問題は置いといて、この運動神経と反射神経は、蒼紫が鍛えれば有効に生かすことが出来たはずだ。上手くやれば『葵屋』にいる誰よりも素晴らしい隠密になったかもしれないと思うと、本気で惜しい。
蒼紫の言葉にも頬を染めて、
「そんな………。それなら私だって………」
蒼紫の過去は知らないはずだが、きっとも本能で自分の才能を開花させる人間だと感じたのだろう。本当に、出会いが遅すぎたのが悔やまれる。
しかしには遅すぎでも、の子供ならその才能を受け継いでいるかもしれない。その子供を最高の隠密に育て上げることが出来たらと想像すると、蒼紫は楽しくなってきた。
「花火大会、どうでした?」
蒼紫が帰ってくる早々、お増に尋ねられた。
「まあ、有意義ではあったかな」
花火についての印象は薄かったが、の意外な才能を知ったことは有意義だった。素人であれだけの運動神経というのは魅力的である。しかも、もっと早くに蒼紫と出会って才能を開花させたかったなどと言う、向上心の強い女なのだ。一寸変わった女だとしか思っていなかったが、あれで見方が変わった。
蒼紫の言葉に、お増も嬉しそうに、
「それは良かったですわ。これからも積極的にさんをお誘いにならないと」
「ああ」
あの運動神経は、蒼紫にも魅力的である。自身にはもう期待は出来ないが、次世代には期待できる。上手くやれば蒼紫の後継者になるかもしれない。
御庭番衆の未来のためにも、との関係は継続し続けなければならないと、蒼紫はこれまでに無いほど強く思った。
途中で花火大会なんてどうでも良くなってきたのが見え見えだな……(苦笑)。
蒼紫、主人公さんと明らかに会話が噛み合ってないぞ(笑)。「あなたとはもっと早くに出会いたかった」なんて、期待させること言いやがって。いや、本人は本気でそう思ってるんですけどね、別方向で(笑)。
微妙にずれてしまったところが、まさに“コミュニケーション不全症候群”ですな。