雨宿り

 少し待てば止むかと思っていたが、雨足は強まるばかり。これなら早いうちに帰っていればよかったとは後悔した。
 隣に立っている男も同じようで、困ったように空を見上げている。
 男は驚くほど背が高い。しかも役者のような美形だ。雨は早く止んで欲しいが、隣にいるのがとびきりの美形となると、あまり早く止むのもつまらない気がする。
 ふと見ると、男の袖が濡れている。屋根から滴り落ちる滴が濡らしているのだろう。
 こっちに寄った方がいいですよ、と言ってみるべきだろうか。けれど、男の雰囲気はどうも話しかけづらい。
 もじもじしてる間にも袖の染みは広がっていく。男は自分の着物が濡れていることに気付いていないのだろうか。気にする様子も無く、困ったように空を見上げるばかりだ。
 本人が気にしていないのならが心配してやることではないのかもしれないが、一旦気になり始めるとそこに目が行って仕方が無い。このまま知らぬ振りをしているのも悪い気がして、は思いきって声をかけてみた。
「あの、少しこちらに寄った方がいいですよ」
「え?」
 男が驚いたようにを見る。
 そうするのが癖なのかもしれないが、真正面からまじまじと顔を見られると、は慌ててしまう。相手が役者のような美形なのだから尚更だ。
 なんだかよく分からないが緊張して、は全身から変な汗がでてしまう。普通にしなければと思え思うほど焦ってしまい、何故か早口でまくし立ててしまった。
「あ、いや、着物がですね、濡れるからですね! もっとこっちに寄ったら濡れないと思うんで!」
 早口どころか、妙に大きな声になってしまう。これではお節介を通り越して、変な女だ。
 いくら男慣れしていないとはいえ、ものには限度がある。顔を紅潮させて全力でまくし立てるなんて、見方によっては不審者だ。
 親切のつもりが、いらぬ警官心を持たせることになってしまった。穴があったら入りたいどころか、自ら入る穴を掘って引き籠もりたい。
 何とかしなければと焦れば焦るほとじたばたと挙動不審になって、完全に泥沼だ。
「あ、いや、あの―――――」
「ああ………」
 焦るの様子など気にすることも無く、男は濡れた袖を見て小さな声を上げた。指摘されるまで、濡れていることに気付かなかったらしい。
 男は袖を絞るような仕草をしたが、中途半端に濡れた袖からは滴は出ない。
「あの、よかったらこれ、どうぞ」
 さっきよりは落ち着いて、は手ぬぐいを差し出した。
「ああ、どうも………」
 男は殆ど無表情でそれを受け取る。怪しい女だと思われているのかと思ったが、感情表現に乏しいだけかもしれない。
 不思議なもので、並みの男に無愛想にされるとイラッとするが、ここまで突き抜けた美形となると、こんなものかもしれないと思ってしまうものだ。男も女も、九割は見た目が左右してしまうものなのかもしれない。
 美形だと、袖を拭く何気ない仕草も様になるものだ。は何だか一寸良いことをしたような気がした。
「ありがとうございました」
 口調は素っ気ないが、一応感謝はしているようだ。手ぬぐいを丁寧に折り畳んでに返した。
「あ、いえ………」
 これをきっかけに話を進める器量があれば、の人生は今と違う道が広がっていたのかもしれないが、無いから今の彼女があるのである。折角の機会を生かすような粋な言葉など思い浮かぶはずもなく、は黙り込んでしまった。
 こういう時、モテる女というのは、手ぬぐい一つから話を膨らませるものなのだろう。も挑戦してみたいが、滑った時のことを考えると、何を言えばいいのか分からない。
 かといって黙り込んでいるのも変な気がして、ますます悶々としてしまう。
 話しかける隙を狙ってちらちら様子を見ているなんて、完全に不審者だ。が女だからいいようなものの、男女逆だったら通報されてもおかしくはない。
「何か?」
 流石に堪え切れなくなったか、男が声をかけてきた。
「あっ……いえっ! あのっ………」
 少し落ち着いたかと思っていたが、またまた過剰に反応してしまう。顔が赤くなったり、意味も無く両手をばたばたばたさせたり、完全におかしな女だ。
 これが小説だったら、これをきっかけに恋が生まれるところなのだが、現実は厳しい。ふとしたことから恋が始まるなんて、都市伝説なのだろう。
 あたふたするの様子に、男が少し困ったような顔をした。一緒に雨宿りしている相手がこんなおかしな女では、逃げ出したくもなるだろう。
 申し訳ないやら恥ずかしいやらで、できることならも逃げ出したいくらいだ。黙っていれば心置きなく美形の観賞ができたものを、こんなことなら話しかけなければ良かったと、今更ながら後悔した。
 男は少し考えた後、財布から名刺を出した。
「怪しいものではありませんから」
 がおかしいのは、自分が不審者だと思われたのだと解釈したらしい。重ね重ね失礼なことをしたものである。
「そっ…そんなんじゃ……。……すみません………」
 何と言っていいものやら、は耳まで紅くして名刺を受け取った。
 男は四乃森蒼紫というらしい。名刺には料亭兼旅館『葵屋』の屋号が入っているが、肩書きは無い。まあ、料理人か何かなのだろう。
 『葵屋』は行ったことは無いが、名前だけならも知っている。そこそこの老舗だから、この男の身元はしっかりしているはずだ。世間的にはよりしっかりしているかもしれない。
 そんな相手にここまでさせるなんて、はますます居たたまれなくなった。別に蒼紫のことを怪しんでいたわけではないのだ。が勝手に緊張して、不審な動きをしていただけである。
「あの、私、っていいます。名刺持ってませんけど、何か証明書―――――」
「あ、結構ですから。俺が不審者でないことを解ってもらえればいいんで」
 手提げの中を引っ掻き回すを、蒼紫は慌てて制した。
「いや、でも………」
 きっかけを作ったのはなのだから、自分だけ身分を曖昧にしておくのは悪いような気がする。
「いや、本当にいいですから」
 焦るとは対照的に、蒼紫は淡々としている。無表情だから何を思っているのか判らないが、面倒くさくなってきたのかもしれない。
「はあ………」
 そう言われると、も引き下がるしかない。自分だけ自己申告というのは気まずいが、これ以上しつこく身分を証明しようというのも、かえって気まずくなりそうだ。
 そのまま会話が途切れてしまった。元々話題がないのだから当然のことだ。
 最初の状態に戻っただけのことだが、この沈黙は気まずい。不機嫌にさせていないだろうかと、は蒼紫の様子を盗み見る。
 蒼紫は話す前と同じように、困ったように空を見上げていた。さっきまでのことが嘘のようだ。
 また話しかけたら失礼だろうか。しかしこのままではの気が済まない。
「あの―――――」
 別に蒼紫のことを怪しい者だと思っていたわけではない、ということだけは伝えておきたい。
 が、いざ蒼紫の視線がこちらに向けられると、また緊張して挙動不審になってしまう。
「あっ……いや、そのっ………!」
「まだ何か?」
 蒼紫は怪訝な顔をした。手ぬぐいは返したし、身分は証明したし、彼にはもうと話す用は無いのだ。
「いや、あのっ……不愉快な思いをさせて、すみません………」
「……何がですか?」
 きょとんとして蒼紫は尋ねる。が気にしていたほど、蒼紫は気にしていなかったらしい。
 またいらぬことをしてしまったと、は激しく後悔した。もう頭を抱えてうずくまりたい。
「あっ、そのっ―――――」
「蒼紫様ぁ!」
 頭の中が真っ白になって、次の言葉を必死に考えていると、のんきすぎる少女の声が聞こえてきた。
「ああ」
 その声に、蒼紫はほっとしたような声を上げる。迎えが来たことにほっとしたのか、変な女から解放されると思ったのか。
 お下げ髪に甚平姿の少女がこちらに駆け寄ってきて、持っていた傘を蒼紫に渡す。
「蒼紫様、傘を持って行ってなかったんじゃないかと思って。すれ違いにならなくて良かったあ」
 とは違い、少女は羨ましいくらい自然にすらすらと喋る。この半分でも喋れたら、も気まずい思いをせずに済んだのだろうが。
「わざわざ悪かったな」
 表情は変わらないが、心なしか蒼紫の口調は柔らかい。知っている相手と知らない相手では当然の違いなのだろうが、やはり悪いことをしたとは思う。
「よかったらこれ、どうぞ」
「えっ?」
 傘を差し出され、は過剰なほど驚いた声を上げた。
「まだ暫くは止みそうにないですし、俺は操の傘で帰りますから」
「でも………」
「後で店に返しに来ていただければ構いませんから。店の場所は判りますか?」
「あ、はい」
「では都合の良い時にでも寄ってください。
 操、帰るぞ」
 半ば強引に傘を押し付けると、蒼紫は操と二人で帰っていった。
「………………」
 あれだけ失礼をしたのに傘を貸してくれるなんて、親切な男だ。顔だけでなく、心まで美形とは恐れ入った。とは人間の格が違うのだろう。
「………あ!」
 ばたばたしすぎで、礼を言うのを忘れていた。最後の最後まで駄目すぎる。
「ああ〜………」
 傘を返しに行く時は、落ち着いてきちんと礼を言おう。頭を抱えて自己嫌悪に陥りながら、は自分に言い聞かせた。
<あとがき>
 さだまさしの『雨宿り』をイメージしていたはずが、どうしてこうなった………?
 しかし主人公さん、キョドりすぎだ。おかげで単発のはずが連続ものになっちゃったよ(笑)。
 歌詞と同じ筋書きにしてやりたいものだけど、蒼紫よりもこの主人公さんに不安要素が多すぎるなあ。
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