第二章 ラ・トラヴィアータ
ナボコフに『ラ・トラヴィアータ』というオペラに招待された。“道を踏み誤った女”という意味を持つこのオペラに誘われたのは何かの当てつけかと鎌足は自嘲気味に邪推したが、勿論そういうわけではない。青年貴族と高級娼婦の純愛を描いた通俗的な内容であるが、それだけにオペラ初体験の鎌足にも楽しめるとナボコフが判断したのだろう。惹かれ合いながらも互いの境遇のために引き裂かれ、しかし最終幕で死にゆく女と再会するという筋書きは、世界共通で解りやすい。
そんな通俗的だが華やかなオペラを見るのは、当然桟敷席だ。ナボコフの財力なら当然の席だが、それを鎌足の為に取っているということに意味がある。ただの留学生にそこまではしないだろう。
舞台では、主役の歌手が「いつまでも愛しているわ。あなたも私と同じだけ愛して。さようなら」と哀しげに歌っている。青年貴族の父親に説得され、女が泣く泣く身を引くという、第二幕の山場だ。男というものは何故、“愛する男のために身を引く女”という設定が好きなのだろう。「いつまでも愛しているわ。あなたも私と同じだけ愛して」と言うくらいなら、周りが何と言おうと愛を貫けば良いのに、と鎌足は思う。
鎌足は志々雄に由美という女がいても、決して引かなかった。彼のことを愛していたからだ。鎌足にとって、志々雄は世界の全てだった。そんな彼から離れろと誰かに言われたとして、鎌足は主人公のヴィオレッタのように素直に身を引くだろうか。そんなこと、出来るわけがない。
大体、男も男だ。本当に愛しているのなら、恋人が裏切ったと激怒するのではなく、消えた女を追うべきだろう。激怒するのは、相手のことを所詮娼婦だと思っていたということだ。女の心変わりに激怒するのなら、どうして手紙ではなく女の口から別れの言葉を聞こうとしないのだろう。面と向かえば、その声、その表情から女の本心が判るだろうに。
たかがオペラとはいえ、鎌足は腹が立ってきた。出来ることなら、主役二人を並べて説教してやりたいくらいだ。
隣のナボコフに目をやると、彼は鎌足と反対に物語の世界にのめり込んでいる。泣く泣く身を引く女の姿は、ナボコフの胸を打つものらしい。
こんな弱々しい女が好きなのだろうかと、鎌足はナボコフの横顔を観察する。この男の好みの女を演じなければならないのなら、適当なところで一度こんな風に身を引いてみるべきなのだろうか。しかし妻がいるナボコフ相手に身を引いて見せたら、そのまま追ってこないような気もする。
じっと見詰める鎌足の視線に気付いて、ナボコフが怪訝な顔をした。
「どうしました? 何か解らないところでも?」
「いえ………。ナボコフさんは、ヴィオレッタのような女性はお好きですか?」
「は?」
鎌足の質問に、ナボコフはますます怪訝な顔をする。
ヴィオレッタのような女が良いと言うのなら作戦を変えなければならないと、鎌足は思っている。ヤマトナデシコ路線は今更変えられないが、他の事はまだいくらでも修正は訊く。ヤマトナデシコな上にヴィオレッタのような女を求められては、情報を引き出す前に鎌足が潰れてしまう。
ナボコフは少し考えるような顔をしたが、逆に訊き返した。
「鎌足さんはお嫌いですか?」
「それは―――――」
何と答えようかと迷いながら、鎌足は部隊に視線を戻した。
ここで嫌いだと言ったら、この男はどうするだろう。正直に答えれば後が楽だろうが、下手をするとここで終わってしまう。今は鎌足に惹かれているようだが、それはまだ“ナボコフが作り上げた鎌足”に対してだ。男にしろ女にしろ、幻想が壊れたら醒めるのは早い。
だが、一か八かで鎌足は賭けに出てみた。
「そうですね。周りに言われて身を引くなんて、私には出来ません。本当にその人を愛しているのなら、世界中を敵に回しても離れたりなんかしませんわ」
そう、愛する人が傍にいるのなら、日本という国さえどうでも良かった。明治政府を転覆させるとか新しい国を作るとか、本当は鎌足にはどうでも良いことだったのだ。ただ、志々雄の傍にいられればそれで良かった。だから彼が死んだと知った時、後を追おうとさえしたのだ。結局、こうやって生き延びてしまっているけれど。
けれどこうやって生きているのは、死ぬのが恐ろしいからでも、最期まで志々雄と一緒だった由美に負けを認めたからでもない。生きて、志々雄真実という男が存在していたのだという証を残そうと思えるようになったからだ。共に死ぬことよりも、彼が生きた証を残すことの方が何倍も尊い。
志々雄が生きた証を残すには、鎌足が日本政府の中で何か大きな実績を作らなければいけない。その為には、何としてでもこの仕事を成功させなくては。明治政府もナボコフも、鎌足の真の目的を果たすための踏み台に過ぎない。
無意識のうちに、鎌足の顔が険しくなっていく。そんな彼女の横顔を見遣りながら、ナボコフは少しだけ二人の間の距離を詰めた。
「日本女性こそヴィオレッタのようだと思っていましたが、貴女は情熱的な女性のようだ」
「情熱的なのかどうかは判りませんけれど………」
ナボコフが隣にいたことを思い出し、鎌足はいつものはにかむような笑顔を作って応える。
ナボコフの声音は思ったより好意的で、何があっても引かない強い女のというのも嫌いではないらしい。それとも、大人しいだけのヤマトナデシコの情熱的な一面、というのが気に入ったのだろうか。ナボコフが気に入ったのなら、鎌足にはどちらでも良いことだ。
「私は、ヴィオレッタよりもあなたのような女性が好きですよ」
そう言いながら、ナボコフは肘掛に置かれていた鎌足の手に自分の手を重ねてきた。
来た、と鎌足は一瞬身を硬くする。恥らうように俯きながら、これからどう動くべきか素早く考える。
“ヤマトナデシコ”なら、驚いて手を引くだろうか。否、それでは折角縮まった距離がまた元に戻ってしまう。大人しくこのままじっとしておくのが得策か。しかしそれでは、このまま先に進めない。
考えた末、鎌足は思い切ってナボコフの指に自分の指を絡めた。そのまま、手を繋ぐようにきゅっと指を折り曲げる。
恥らう表情とは裏腹の思い切った行動に、ナボコフは驚いたように鎌足の顔を見た。人形のようなヤマトナデシコがこんなことをするとは思っていなかったのだろう。
しかしそんな鎌足の反応は嬉しかったようで、ナボコフは微笑みながら第三幕が始まろうとする舞台に視線を戻した。
オペラの後、劇場の近くで軽く飲んで帰ることになった。塩漬けした魚の料理と何種類かのチーズを肴に、鎌足はワイン、ナボコフはウオツカである。
この国に来て鎌足は毎日のように思うのだが、塩漬け食材は勘弁してもらいたい。塩に漬けて良いのは漬物になる野菜だけだ。海が遠くて生の魚が手に入らないのなら、干物にして欲しい。
しかも飲むのがウオツカである。何かで薄めて飲むなら兎も角、そのまま飲んだら口が腫れるではないか。こんなものを普通に飲み食いできるなんて、ロシア人は人間ではないのではないかと思う。
勿論そんなことは口が裂けても言えない。だから鎌足は魚が嫌いな振りをしてチーズだけを肴にする。
「女性が舞台に上がる演劇なんて初めて見ました。日本では男性しか舞台に上がりませんのよ」
「それでは少年が女性役をやるんですか? 昔のバレエでは、少年が女性役をやると聞いたことがあります」
目を丸くするナボコフに、鎌足はくすくす笑って、
「少年もやりますけれど、大人の男性もやりますわ。一度ナボコフさんにもお見せしたいわ」
「大人の男が?! 男が女をやるなんて、信じられない………」
どんなものを想像しているのか、ナボコフは不快げに眉を顰める。そこまで嫌悪するものなのだろうかと鎌足は思うが、それはロシア料理を嫌うのと同じで文化の違いというものなのかもしれない。
しかし女を演じる男というのは、それほどまでに不気味なものなのだろうか。普通の男が女装するのは不気味なのかもしれないが、それを生業とし、それが日常となっている者がやるのは美しいと鎌足は思っている。美しくあろうと常に努力をしているからだ。本物の女であることに胡坐をかいて美しくあろうとする努力を放棄している女の方が、何倍も嫌悪するべき存在ではないのか。
テーブルの下で手を握り締めて自分の中の感情を押さえ込みながら、鎌足はどうにか微笑みを作る。
「日本人は西洋人と違って、男女の体格差があまりございませんから。それに、爪先まで立ち居振る舞いに気を配っていますから、それは美しいものですわ。本物の女性が敵わないくらいに」
「いくら立ち居振る舞いを真似ても、男であることには変わりはないでしょう。本物の女には敵わない」
「いいえ。歌舞伎の女形は本物の女性以上に殿方を魅了しますわ。何故だか分かります?」
「さあ………」
「“理想の女”を知っているのは、殿方だけだからですわ。だから男性だけが、殿方を魅了する女を演じることが出来ますのよ」
そう言って、鎌足は艶然と微笑んだ。
『ラ・トラヴィアータ』の邦題は『椿姫』です。この小説は『Mバタフライ』を下敷きにしてるんで、それに合わせて『蝶々夫人』を見せたかったのですが、『蝶々夫人』の初演は1904年らしいんで急遽変更しました。意外と新しいオペラなんですね。
桟敷席で手ぇなんか握っちゃってますよ、この二人。なんてベタな流れなんでしょう! ベタ、最高です!! 何しろこの小説のテーマはベタなメロドラマですから。書きながら一寸恥ずかしかったですけど、我ながら満足できるベタです。
それにしても毎度のことながら、ナボコフが真実を知っちゃったらどうなるんだろうなあ。