爭いをおそれてものを言わざるに言わざることをとがめられたり
好きな男がいるなら告白すればいい、なんて軽く言われてしまったということは、斎藤にはその気が無いということなのだろう。脈は無いかもしれないと薄々感じてはいたけれど、これは決定打だった。に感心が無いだけなのか、実は他に想う女がいるのか。毎日遅くまで仕事をし、休日も不定の斎藤の生活に女の影は感じられないが、が気付いていないだけかもしれない。何しろ相手は極端な秘密主義者なのだ。
「告白しろって言ってるんだし、とりあえずしてみたら?」
他人事だと思って、市子は気楽なものである。
斎藤が「告白すればいい」と言うのは、自分に対してのものではないと思っているからだ。そんな相手に告白したところで、玉砕するに決まっている。そうなったら、明日からどんな顔をして出勤すればいいのか。
失恋した上に生活基盤まで失ってしまったら、はもう生きてはいけない。再就職するにしても此処より条件の良いところがあるとは限らないのだ。
「それで振られたら、仕事に行けなくなっちゃうよ」
「その時は異動願いを出せばいいじゃない。あの藤田警部補だもの、誰も怪しまないって」
「でも………」
そんなことで済む話ではないのだ。斎藤から離れたところで、彼に振られたという事実は消えないのである。それに異動したとしても、警察にいる限り斎藤の姿を見るのだ。斎藤もの姿を見かけることがあるかもしれない。否、がいると認識してくれるならまだいいが、全く気にもかけてくれないとしたら、そっちの方が耐えられない。
何よりが恐れるのは、いつか斎藤に女ができたという噂を聞くことだ。あの斎藤と付き合っている女がいるとなったら、その情報はあっという間に警視庁中を駆け巡り、すぐにの耳にも入るだろう。異動したところで、知りたくない情報は入ってくるのだ。
ぐじぐじしているの態度が面白くないのか、市子は少し苛立ったように、
「っていうかさあ、何で振られるのを前提に話を進めるわけ?」
市子には、が振られることを前提に話していることが、もう駄目らしい。市子のような女には自分が振られることなんて想像もつかないのだろうが、は違うのである。
自分と斎藤が釣り合っているかとか、これまでの斎藤の態度を考えてみるに、どうも脈はなさそうなのだ。それで振られることを予想しないなど、そこまでも馬鹿ではない。
「だって………」
「案外あっさりといけるかもよ。一緒にご飯食べに行ってたりしてるんでしょ?」
何度か斎藤と一緒に夕飯を食べたことは、市子にも話している。一緒に食事をしているということで脈ありだと思っているようだが、あれは市子が思っているようなのとは違うのだ。
「でもあれは立ち食いのお店ばっかりだし………」
「それでも連れて行ってくれたんだから、特別扱いだと思うんだけどなあ。外で一緒に食事をした人なんて、他にはいないみたいだし」
そう言って、市子は意味ありげな含み笑いを見せた。
「でも………」
本当に“特別”なら、もっと違う店に連れて行ってくれるのではないかとは思うのだ。立ち食いの店というのは、たまたま腹が減ったから一緒に行っただけなのだと思う。
何を言っても否定的なの態度に、市子は呆れたように溜め息をついた。そしてを睨みつけて、
「とにかくね、言わなきゃ通じないんだよ。他の人とは扱いが違うんだから、もっと自信を持ちなよ」
「………………」
そんなことを言われても、自信を持てる材料がには見当たらないのだ。市子みたいに成功体験があればまた違ったのかもしれないが、こちらもまた過去を振り返ってもお粗末なものである。これで自信を持てなんて、無理な話だろう。
も絶望的な面持ちで溜め息をついた。
立ち食いとはいえ、食事に連れて行ってくれるのは特別扱いだと市子は言っていたけれど、斎藤がそこまで考えて行動しているとは思えない。今だって、暇そうに煙草を吸っているのに、などいないかのように振る舞っているのだ。
市子が言うように脈があるのなら、雑談を仕掛けたりしてくると思うのだ。そういうことも全く無いし、やっぱり夕飯に誘ってくれたのはただの気紛れだったのだとしか考えられない。
「………俺の顔に何か付いてるか?」
ぼんやりしているつもりが、無意識のうちに斎藤の方を見ていたらしい。不審げに睨みつけられてしまった。
「い……いえ、そんなんじゃ………」
は慌てて顔を伏せた。
多分、睨まれたわけではないと思う。声は怒っているようではなかったし、元々の目つきが悪いから、少し視線を動かしただけで睨んでいるように見えただけだろう。
少し間があって、斎藤が唐突に言った。
「あの男のことを考えてたのか?」
唐突すぎて、何のことを言っているのか分からなかった。
「そんなに気になるくらいなら、告白してみたらどうだ?」
「あ………」
の好きな男のことを言っているのだと、やっと解った。
好きな男のことを考えていたのは確かだが、それは斎藤のことだ。斎藤のことなのに“告白してみたらどうだ?”だなんて、やはり脈なしということなのだろう。とどめを刺された気分だ。
「私には無理な人なんで………」
「そんなの、言ってみないと分からんだろう。案外、向こうもお前のことを気にしてるかもしれんし」
斎藤なりに励ましているつもりなのだろう。市子と似たようなことを言う。けれど、市子と同じく他人事だ。
他の誰でもなく、は斎藤に気にして貰いたいのだ。殆ど無関心なくせに、何が“向こうもお前のことを気にしてるかもしれん”だ。知らぬこととはいえ、何と無責任なことを言うのだろうと、は腹が立ってきた。
「人の気も知らないで、適当なこと言わないでください!」
他人事だと思って、市子も斎藤も無理難題をふっかけて、できないが悪いような言い方をする。この状況で、自信を持てとか告白しろとか、さっさと振られろと言っているようなものではないか。
周りから見れば、うじうじ悩んでいるよりは、さっさと玉砕して次に行け、ということなのかもしれないが、実際に玉砕するのはなのだ。その後のことを考えたら、そんな簡単にできるものではない。
怒鳴られるとは思っていなかったのか、斎藤にしては珍しく怯んだ顔をした。そんな顔も今のには、他人事だと思っていた証拠だとしか思えない。
「振られるのが判ってるのに、そんな簡単に言えるわけないじゃないですか! 向こうは私のことなんか全然気にしてないのに!」
「そんなことはない―――――と思うぞ」
きっぱりと言い切ったくせに、何故か後から弱々しく付け足された。やっぱり口から出任せだったのだろう。
どいつもこいつも適当なことばっかりだ。いい加減にしろ、とが怒鳴りそうになる前に、斎藤が言いにくそうに付け足した。
「まあ、たとえばの話だが―――――たとえば俺がお前に好きだと言われたら、嬉しいと思う。相手の男がどういう奴かは知らんが、好きだと言われて嫌な思いをする奴はいないと思うぞ」
「えっ……?! えぇっ?!」
予想外の急展開に、頭は真っ白、顔は真っ赤である。
に告白されたら嬉しいなんて、これは斎藤の本音なのだろうか。けれど、この言い方は一般論的な感じもする。どういうつもりで言ったのか、には全く見えない。
もし、本当に斎藤がに告白されて嬉しいのなら、今告白すべきだろうか。しかし、その“嬉しい”が“その気持ちは嬉しい”程度だったら、やっぱり玉砕だ。
けれど、その言葉を引き出せたとなると、市子の“他の人とは扱いが違う”が俄然真実味を帯びてきた。立ち食いだけど、とだけは一緒に外食するなんて、斎藤もそれなりに関心を持っていると思ってもいいのだろうか。
「あっ……あのっ、こここ告白っ………!」
告白したら嬉しいというのは本音なのか確かめたいのだが、気が動転して言葉が出ない。今の時点でこれだなんて、本当に告白する時は何か言う前に倒れそうだ。
の異常な反応に、斎藤は明らかに引いている。まさかここまで動揺するとは思っていなかったのだろう。他人事だと思っているのなら、普通はそうである。
「あ、いや……俺のことは、あくまでたとえ話であってだな。だから要するに自信を持てってことだ」
自分をたとえに使ったのが悪かったと勘違いしているようだ。が、斎藤をたとえに使ったからこそ、は異常に舞い上がっているのだ。
斎藤のその言い方だと、に告白されたら本当に嬉しいということなのだろう。それを受け入れてくれるかどうかは別として、嫌がりはしないということだ。それだけでも希望が持てる気がしてきた。
私自身も予想外の急展開(笑)。もう一寸主人公さんを弄りたかったんだがなあ。このシリーズの斎藤は台本無視してアドリブをやりたがりだ(笑)。
さて、主人公さんの告白、どうなりますことやら。