友人の結婚しますしましたの便りに沈む三十路は間近か

 「結婚しました」のお知らせ葉書は、この歳になると結構心にくる。普段は気にしていないのだが、こうやって友人が一人また一人と嫁いでいくのを知らされると、何となく焦ってしまうものだ。
 苗字が変わった友人の名前を見て、は溜め息をつく。予定では、今頃はとっくに嫁に行っていて、子供の一人もいたはずなのだが。いつの間にやら、母親がを産んだ歳を追い越してしまった。
 これまで縁談が無かったわけではない。相手方の親との同居は嫌だとか、何となく気が乗らないとか、何だかんだ言っているうちにこの歳になってしまったのだ。最近では親も匙を投げてしまったらしく、見合いの話も来ない。
 こんな葉書を見ると、少しは妥協すべきだったのかと悩むが、したらしたで、本当にこれで良かったのかと悩みそうな気がする。それにものは考えようで、もしも結婚していたら斎藤には出会えなかったのだ。そう思えば、今まで独り身だったのは斎藤に出会うためだったような気がしてきた。
 けれど、出会って一緒に仕事をするまでに漕ぎ着けたまでは良かったものの、そこからが進展しない。斎藤は相変わらず喋らないし、本当にどうしたものか。
「あーあ………」
「どうしたの?」
 深い溜め息をつくに、市子が怪訝な顔をする。
「友達が結婚したんだって。これで独身は私を合わせて三人よ。どうしよう〜」
 この世の終わりのようには嘆く。
 独身仲間が半数くらいの頃までは、も鷹揚に構えていた。が、自分とあと二人しかいないとなったら、流石に焦ってきた。最後の一人になるというのは恐怖だ。
「へー、まだ二人もいるんだ。ちゃんの友達って、結婚遅いんだね」
 が絶望のどん底にいるというのに、市子は完全に他人事だ。こんなに友達甲斐の無い女だとは思わなかった。
 しかし市子の口振りでは彼女の友達はみんな結婚しているようである。世が世ならお嬢様なのだから、市子の友達もそれなりのお嬢様ということで、そういう女は早婚なのかもしれない。ということは、市子は“最後の一人”ではあるまいか。その割には焦りを感じないのだが。
「いっちゃんの友達って、みんな結婚してるの?」
「うん。許婚がいる子もいたし、まともに働けるような子はいないしね」
 “最後の一人”の割に、市子の口調はさばさばしている。強がっているのかと思いきや、そうでもないようだ。
 働かずに結婚した友人より、働いている自分が偉いと思っているのだろうか。のような身分なら維新が無くても働くのが当たり前だが、市子くらいの家の娘は“働く”ということすら思いつかないだろう。そこで仕事に出ることを選んだ市子は、時代の波に上手く乗れたとも言える。
「焦ったりしないの?」
「何が?」
 市子は心底不思議そうな顔をする。
 のように焦るのも見苦しいが、この歳になっても市子のように鷹揚に構えているのも暢気すぎだ。強烈な玉の輿願望を持っているから結婚願望が無いわけではないと思う。玉の輿に乗りたいなら、もっと焦るべきだとは思うのだが。
「周りが結婚すると、取り残された気分にならない?」
「別に。とりあえず相手は確保してるし」
「えっ?!」
 これは今月最大の衝撃だ。友人からの「結婚しました」葉書よりも衝撃的だ。
 が足踏み状態で悶々としている間に、市子はちゃっかりと飯島とよろしくやっていたなんて。馬鈴薯みたいな顔の男だが、一応お目当ての男を射止めたなんて羨ましすぎる。
 まあ飯島は斎藤と違って人並みに社交的であるようだし、女慣れしていないようでもあるから、お嬢様風の市子が粉をかけたら簡単に攻略できたのだろう。道理で最近、付き合いが悪くなったわけである。
 そうなってくると、ますますは“最後の一人”に近付くわけで、本格的に焦ってきた。それだけは何が何でも避けなくては。
「いっちゃん、私たち、親友だよね?」
「な……何よ、いきなり?」
 縋り付くように手を握られ、市子は引き気味だ。
「お願いだから、私を置いてお嫁に行かないで〜」
「あ〜………」
 泣き落としでもしかねないの勢いに、市子はただただ困惑した。





 市子と飯島が付き合っているなんて、本当に心にきた。一体いつの間にそんなことになったのだろう。
 は斎藤をちらりと見る。いつものように難しい顔で書類を睨んでいて、とてもいい雰囲気になれそうにない。
 市子と飯島は別の部署にいてもお付き合いを始めているのに、はこうやって斎藤と同じ部屋にいるのに話しかけることさえできない。どこでこんな差がついたのだろう。やはり積極性だろうか。
 そういえば結婚していった友人たちも、積極的に縁談を受けていた。ぼんやりと受け身だったのはだけだ。
「どうした?」
 溜め息をつくに、斎藤が尋ねた。
「友達が結婚しちゃって、一寸………」
 職場に私生活を持ち込むのはどうかと思うが、今回の件はずるずると引きずってしまう。最後の一人になると決まったわけではないが、こうも周りが縁付いていくのを見せつけられると、だけが取り残されたような気分だ。
「何だ? 祝儀が出せないのか?」
 斎藤の発想は少しズレている。金の問題ではないのだ。
 はまた一つ盛大に溜め息をついて、
「御祝儀くらい出せますよ。そうじゃなくって―――――」
 そこまで言って、は黙った。斎藤にはこの女心は理解できないような気がする。
 斎藤もかなりいい歳のはずだが、彼はのように焦ったりはしないのだろうか。それとも、市子のように相手を確保しているから、のんびり構えているのか。
 市子情報では独身ということだったが、付き合っている相手がいるかどうかまでは判らなかった。もし付き合っている相手がいるとしたら、どうしよう。
 は恐る恐る尋ねてみる。
「警部補は、お友達の結婚で焦ることってないですか?」
「別に」
「それって、お付き合いしている方がいるから平気なんですか」
 立ち入りすぎたか、斎藤は少し驚いた顔をした。が、特に嫌な顔をするようでもなく、普通に答える。
「そういうわけじゃないが……焦っても仕方ないだろう、そういうことは」
「………ま、まあ、そうですよね」
 この様子では、今のところ斎藤に付き合っている女はいないようだ。は少しほっとした。
 しかしその歳で付き合っている相手もおらず、結婚への焦りも無いというのは、ひょっとして独身主義というやつなのだろうか。男と女は婚期が違うから焦る時期も違うだろうが、これは一寸暢気すぎだ。
 独身主義だとしたら、は非常に困る。結婚する気が無い男なんて、どんなに努力しても意味が無いではないか。
 斎藤と付き合いたいと思っているが、付き合うのが最終目的ではない。付き合うというのはにとっては結婚が前提であるから、独身主義者となると他を当たらねばならなくなってしまう。
 けれど今のところ斎藤以外の男というのは思いつかないし、結婚のために妥協というのもあり得ない。妥協できずにこの歳まできたのだから、今更妥協したら負けではないか。
「警部補って、独身主義なんですか?」
「そういうわけじゃないが………」
 斎藤の返事は鈍い。結婚を拒否しているわけではないが、積極的にしたいというわけでもないということか。しかし独身主義というのは大手を振って口にできる思想ではないから、曖昧にしているだけかもしれない。
 相手はともかくとして、斎藤に結婚する気があるかどうかが問題だ。あるか無いかで対策の立て方が違う。
 少し失礼かと思ったが、は思いきって訊いてみた。
「結婚したくないわけじゃないですよね?」
「………できないだけとでも言わせたいのか?」
 怒ってはいないようだが、睨まれているような気がした。前回に引き続き、斎藤の触れてはいけない部分に思いっ切り触れてしまったらしい。
 女ほどではないとはいえ、男にとっても“いい歳して独身”というのは微妙な問題だ。もう少し親しくなってから訊くべきだったと、は後悔した。
「いや、あの………」
 この空気を何とかしなければ。軌道修正の話題を考えるが、適当な話題が思いつかない。
 と、斎藤が立ち上がった。
「一寸出かけてくる」
「あ………」
 斎藤の外出はいつものことだが、今回は中途半端な時間である。これは確実にを避けるための外出だ。
 どうしてこう、斎藤との会話はうまくいかないのか。相手に近付こうと焦るあまり、変な方向に空回りしてしまっている。
 このままではお付き合いどころか、溝は深まるばかりだ。一体どうすればいいのだろう。
 友人の結婚より、市子の交際より、斎藤との関係が大問題だ。は頭を抱えた。
<あとがき>
 主人公さん、失礼すぎる(笑)。そりゃ斎藤も不機嫌になるだろ。弱気そうな割に、デリケートな問題にはずかずかと質問して、結構勇者だな、この人。
 このシリーズは主人公さんが一番ウザキャラだよ。市子、こんな奴が友達でいいの?
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