生魚生の人間苦手ですパソコン打ちつつカップ麺すする

 斎藤の部下になって、数日が過ぎた。仕事は前にいた部署とあまり変わらないから困らないが、斎藤があまりいないのは困った。忙しそうな人だと思ってはいたが、こんなにも執務室にいないとは予想外である。
 一緒に働くことでお近付きになることを狙っていたのだが、この調子では会話すら儘ならない。たまに執務室にいる時も、斎藤は殆ど喋らないのだ。
 仕事中が駄目なら、昼食のお供をしてみるか。食事をしながらなら、少しは会話も弾むだろう。
 珍しく執務室にいる斎藤の様子を窺いながら、は声をかける機会を探る。
 斎藤は、などいないかのように、書類に目を落としている。時折、何やら書き込んでいるようだ。何の書類かは判らないが、小難しい顔をしている。
 ただでさえ話しかけづらい雰囲気なのに、そんな顔をされると、ますます話しかけづらい。も自然と、小難しい顔になってしまう。
 こんなことではいけない。とにかく何か話しかけなくては。
「警部補」
 斎藤の筆が止まったところで、は思いきって声をかけた。
「何だ?」
 顔を上げた斎藤と目が合って、はどきりとした。
 目を合わせる機会が無かったから気付かなかったが、斎藤の眼光は鋭い。新選組の幹部だったという話も、この目を見たら納得だ。これは一寸ただ者ではない。
「あの……そろそろお昼なんですけど………」
「もうそんな時間か」
 斎藤は壁時計に目を遣った。そして机の上を片付けると、出かける用意を始める。
 きっと近くの蕎麦屋に行くのだろう。斎藤が職員食堂で食べるのは見たことが無い。
「あ、私も一緒に―――――」
 も慌てて出かける用意をする。仕事中に無理なら、食事時しか話せる機会は無いのだ。多少強引にでも付いて行かなくては。
 が、斎藤はとりつく島もなく、
「別に無理して付き合わなくてもいいぞ」
「そんなんじゃ………。たまには外食も良いかなって。警部補、お蕎麦屋さんに詳しいって聞いたんで」
 斎藤は、上司の機嫌を取る部下と思ったかもしれないが、とんでもない。は純粋に、斎藤と話したいのだ。
「食堂で一緒に食ってる奴がいるだろ。そいつと行けばいい」
 斎藤は何としてでも一緒に行きたくないようである。もしかして嫌われているのだろうかとも思ったが、は嫌われるほど一緒にはいない。嫌われる機会すら無いのだ。
 好き嫌い以前の問題となると、は困ってしまう。嫌われているなら改善もできようが、これでは手の打ちようが無いではないか。
 何とかしなければと悩むをよそに、斎藤はさっさと出て行ってしまった。
「あー………」
 引き留める間もなく出て行かれ、はがっくりと肩を落とす。一緒に外食が駄目となると、他に何があるだろう。とにかく何かきっかけを作らなくては。
 やはりここは市子に相談するしかない。市子なら、きっと良い案を出してくれるだろう。





「あははー、やられたねー」
 の話を聞いて、市子は可笑しそうに笑った。には笑い事ではないのだが。
「笑い事じゃないって」
 膨れるに、市子はますます可笑しそうに笑う。
「じゃあ、残業時間に一緒に出前を取ればいいじゃない」
「出前?」
 はいつも定時で帰っているから知らないが、残業の時は出前を取っているらしい。出前なら、斎藤も断らないだろう。問題は、どうやって残業に持ち込むかだが。
 斎藤はいつも残業だが、には残業するほど仕事がないのだ。やることも無いのに居残るわけにはいかない。
「私、だいたい定時で終わるからなあ………」
「残業になるように調整しなよ」
 市子は事も無げに言ってのける。
「仕事ができないって思われるのは一寸………」
「そこは上手くやりなよ」
「うーん………」
 は市子のように要領良くないから、うまくいくかどうか。でも、やらなければ、いつまで経ってもきっかけは掴めない。
 毎日やらなければ、不審に思われないかもしれない。少しずつ仕事を溜めていって、適当なところで残業するか。上手くいけば、斎藤と一緒に帰る機会もできるかもしれない。
 そう思ったら、は俄然やる気が出てきた。





 市子の言う“調整”が上手くやれるか心配だったが、意外と簡単だった。こつこつと書類を溜めた甲斐があって、も漸く残業ができることになった。
 残業時間といっても、特別なことがあるわけではない。斎藤は昼間できなかった事務処理をこなして、は溜めた書類を処理している。勿論、無言だ。
 就業時間と違うのは、周りが静かだということくらいか。静かなだけに、この無言空間はきつい。何か話をしようかと、さっきから斎藤の様子を窺っているのだが、拒絶されそうな雰囲気である。
 せっかく残業の機会がやってきたのに、無駄に時間ばかりが過ぎていく。どうしたものかとが悩んでいると、意外にも斎藤から話しかけてきた。
「出前、取るか?」
「え? あっ、はい!」
 は勢い良く立ち上がる。やっとこの時が来たのだ。今日まで頑張った甲斐があった。
「何にしますか? お蕎麦にします?」
 たかだか出前に張り切るに、斎藤は変な顔をした。腹が減っていたのかと思われているくらいなら良いが、食い意地が張っていると思われたら大変だ。
 何とか誤解を解きたいところだが、下手に言い訳をしたら藪蛇になりそうである。どうしたらいいのか分からなくて視線を逸らすと、間の悪いことに腹が鳴った。
「………………!」
 自分の腹の音にびっくりして、は顔を真っ赤にする。こういう時に限って大きな音で鳴るものだから、調子が悪い。
 斎藤の方をちらりと見たが、音には気付いていないようだ。大人だから気付かない振りをしてくれたのかもしれない。
「俺が行ってこよう。何がいい?」
 斎藤なりに気を遣っているのだろう。それとなくから視線を外している。
 やっぱり聞こえていたのかと恥ずかしくなったが、はもじもじしながら答える。
「えっと……警部補と同じので………」
「俺はいつものかけ蕎麦だが………足りるか?」
 斎藤なりに気を遣っているのだと思いたい。が、若い女相手にこれとは、酷すぎだ。
 恥ずかしいやら何やらで、はますます顔を紅くする。気を遣ってくれるなら、もう少し違う方向で遣って欲しかった。
「十分です! 足りますっ!」
 大きすぎる声では応えた。その反応に斎藤はびっくりしたようだったが、
「あ、うん、それならいい」
 他にも何か言いたそうだったが、斎藤はそれだけ言って、出ていった。
 斎藤の足音が遠ざかった途端、は狸の腹鼓のように腹をポコポコと叩く。
「あー、もう! あー、もう!」
 こんな時に鳴るなんて、自分の腹だが憎たらしい。鳴る時か音量を考えて欲しかった。
 あの様子だと、斎藤に絶対聞こえていた。絶対、食い意地の張った女だと思っただろう。もう最悪だ。
 せっかく話す機会ができたのに、こんな会話になってしまうとは。好かれるとか嫌われるとか、それ以前の問題である。
 次こそ少しはまともな会話をしなくては。蕎麦を食べながら、普通の世間話をして、好感度を上げるのだ。





 ―――――と思っていたが、斎藤は書類を横目で見ながら蕎麦を食べている。避けられているのか何なのか、話しかける隙が無い。
 仕事熱心なのは結構なことだが、食事中くらい仕事から離れればいいのに。これでは仕事中毒だ。いくらかけ蕎麦でも、これでは消化に悪そうである。
 斎藤が横目で書類を見ているように、も横目で斎藤を見ている。始終無言でこの調子なのだから、端から見たら変な光景だ。
「あの―――――」
 は思い切って声をかけてみた。
「書類を見ながらお食事っていうのは………」
「気にするな」
 斎藤にはいつものことなのだろう。忙しい人だから、食事時間も惜しいのかもしれない。
 だからいつもかけ蕎麦なのかとは納得したが、それでは困るのだ。こんな調子では、会話も儘ならない。
 やっぱり避けられているのだろうか。ここまで徹底されると、そうとしか思えなくなってきた。
 市子は、難しい人、と言っていたが、ここまで難儀な人だとは思わなかった。攻略への道は険しそうである。険しいどころか、難攻不落の城塞かもしれない。
 本当に異動して良かったのかなあ、とは早くも弱気になってきた。
<あとがき>
 平成万葉集から、57歳男性の作品。
 うん、実に平成らしい一句です。「これ、自分じゃん!」って思う人も多いかも。っていうか、私だ、これ(笑)。
 この斎藤も、現代日本に生きていたら、この句のようになっていたかもね。これは難儀な人だ。
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