ネットでは調べられないこともある例えば君の好きな人とか

「そう言えば藤田警部補のところ、事務員探してるみたいよ」
 昼食中、市子が唐突に言った。
「え?」
「口の堅い人じゃないと駄目らしいけど、誰か良い人いないかなあ? 良い人いたら、紹介したいんだけど」
 雑談を装っているが、明らかに市子の視線はを意識している。
 市子は人事課に所属しているから、少しは口が利くのだろう。が立候補すれば、全力で推してくれるのは間違いない。思い切って立候補してみるか。
 けれど、藤田とはまともに話したことがない。どんな性格なのかも、よく判らない。が立候補したとして、その後うまくやっていけるのか心配だ。
 好きな人と仕事ができるのなら、こんなに嬉しいことはないけれど、正直言って不安もある。の仕事ぶりが藤田の満足できる程度のものであるかとか、性格の相性とか、気になることだらけだ。今は、時々すれ違うだけの間柄だが、一緒に働いて嫌われたら悲しすぎる。
「口の堅さには自信があるけど、警部補とやっていけるかなあ………」
 自信満々に立候補できないところが、の小心さを表している。ここで「私がやる!」と力いっぱい主張できたら、藤田ともっとお近付きになれたのだろうか。
 市子は、ふふっと笑って、
「大丈夫よ。警部補はあんまりいないし。あ、それはそれで困るか〜」
「う〜………」
 せっかく藤田の下についても、あまり会えないのでは意味が無い。様子を見ながら少しずつ距離を縮めるという点では有利だが、距離を縮める時間も無いとしたら話にならないではないか。
「ま、その辺は自分で上手くやってよ。あとさ、警部補について調べたんだけど―――――」
 急に市子が声を潜める。思わずは身を乗り出した。
「実はさ、“藤田五郎”って、本当の名前じゃないんだよ。割と最近になって変えたみたい」
 何を言い出すのかと思ったら、つまらない話である。
 明治になって名前を変えた者は珍しくない。新しい時代と共に心機一転とか、単にハイカラな名前にしたいとか理由は様々だが、の周りにはいくらでもいるのだ。目の前にいる市子だって、「お嬢様っぽいから」と、“イチ”から“市子”に変えたと言っていた。
 期待外れでつまらなそうな顔をするに、市子はまだとっておきの情報を披露するように話し続ける。
「いろいろ名前を変えてたみたいだけど、凄いの見つけちゃった。“斎藤一”だって」
 どんな珍名奇名がでてくるのかと思いきや、ありふれた名前である。市子は興奮しているが、藤田の昔の名前なんて、にはどうでもいい情報だ。
 反応の鈍いに、今度は市子がつまらなそうな顔をした。
「なんだ、びっくりしないの?」
「だって、普通の名前だし」
 市子にはびっくりするようなことだったのかもしれないが、にはそれほどでもない。昔のことを知りたいのではなく、今の藤田のことを知りたいのだ。
 が、次に出た市子の言葉には、も仰天した。
「知らないの? 新選組の組長だよ」
「えっ?!」
 思わず大きな声が出た。周りが何事かと見るくらいだから、相当なものだろう。
「声が大きいっ!」
 市子がの頭を押さえ込む。
「別人じゃないの?」
 流石にこの話題には、も声を低くした。
 新選組なら、だって知っている有名どころだ。局長の近藤と、副長の土方なら知っている。近藤は斬首されて、土方は函館で戦死した。他の隊士も殆ど死んだと聞いている。そんな集団の、しかも組長が今は警部補だなんて、信じられない。
 しかし、藤田が“斎藤一”だとしたら、西南戦争での活躍ぶりも納得できるような気がした。あの戦争で最も活躍したのは、会津出身者の部隊だったらしい。御一新の時の恨みを晴らしたのだろう。藤田が新選組だったとしたら、彼らと同じ気持ちで戦っていたのだと思う。
「本人に間違いないよ。書類見たもん」
「いつ?」
 いくら人事課でも、職員の経歴書を見るなんて、そう簡単にできるわけがない。が、市子はあっけらかんとして、
「残業の隙を見て。金庫の番号を書いてある紙が、課長の机の引き出しに入ってるの」
「ちょっ………!」
 それは犯罪ではないか。金庫の鍵の番号を紙に書いておくというのも、不用心すぎる。自分の個人情報がこんな杜撰に管理されているなんて、はぞっとした。
「いつもこんなことしてるわけじゃないよぉ。今回だけ特別だって」
 今更、市子は言い訳がましく付け加えたが、それは絶対嘘だ。隙があれば、いつも見ているに決まっている。そうでなければ、あんなに男性職員の事情に詳しいわけがない。
 いつも、どうやって調べているのだろうと不思議に思っていたが、こんなことだったとは。驚くやら呆れるやら、は言葉が出ない。
「まあ、そんな過去もあるけど、間違いなく独身だから、狙うだけ狙ってみたら? あんまりお勧めしないけどね。危ない仕事や、他人に言えない仕事もしてるみたいだし」
「………………」
 密偵だから、危険な仕事なのは予想できる。“他人に言えない仕事”というのも、守秘義務絡みのものではなく、本当に他人には言えない部類のものなのだろう。たとえば、暗殺とか―――――
 表向きは落ち着いたものの、この国はまだ、裏では御一新の頃と変わらず揉めている。収拾がつかなくなった時に、人斬り集団出身の藤田―――――否、斎藤が動いているのだろう。
 そういう人間に近付くことについて、あまりいい顔をしない市子の考えは解る。だって、他人事だったら、絶対に止めていたと思う。けれど、好きになってしまったものは仕方がない。
「だけどさ、評判は悪くないみたいだから、そういう人でも良いっていうなら応援するよ」
 引き止めるのかと思いきや、市子は逆に励ますように言う。どんな相手であれ、余程ひどい人物でなければ、友人の立場としては応援するしかないということなのだろう。
「ひねくれ者で、一癖ある人みたいだけど、人間性は悪くないみたい。仕事ができる人っていうのも、本当。あ、これは聞き込み情報だから。いろいろ調べてあげたのよ。感謝してよね」
 市子の顔は得意げだ。
 それにしてもまあ、聞き込み調査というのは恐れ入った。無駄に顔が広いわけではなかったのだ。人事課で囲っておくには惜しい人材である。否、内部調査させるには良い人材だから、適材適所か。
 しかし、自分のことでもないのにこんなに熱心に調査するなんて、友情に厚いどころの騒ぎではない。一体何が、市子をそこまで駆り立てたのか。
「感謝するけど………よく調べたね」
「元新選組の警部補なんて、面白そうだったからね。好奇心、かな?」
 市子の性格だから、“友情”なんて絶対に言わないと思っていたが、これも嘘ではないだろう。悪戯っぽいニヤニヤ笑いは、冗談半分、本音半分といったところだ。
 斎藤の周りの人間に聞き込み調査したのなら、他にもいろいろ聞いているだろう。好きなものや嫌いなものも、市子なら抜け目無く訊いていると思う。
「警部補の好きなものって、何か聞いてる?」
「かけ蕎麦は毎日食べてるらしいよ。ケチなのかと思ったら、本当に好きなんだって。美味しい蕎麦屋を調べておいたら?」
「嫌いなものは?」
「特に無いみたいよ。あ、でも、洋食に誘うのはやめた方が良いかも。濃い味はあんまり好きじゃないみたい。あと、お酒は誘っちゃ駄目。強いらしいけど、酔うと酒癖悪いらしいよ。人を斬りたくなるから飲まないって聞いた」
 本当に感心するほどよく調べている。
 は蕎麦よりうどん派だが、蕎麦も食べられないわけではないから、何とかなるだろう。酒も飲まないから大丈夫だ。濃い味が苦手なら、牛鍋も駄目なのだろうか。最終的には同じ鍋をつつき合う仲になりたいものだが、水炊きなら大丈夫かもしれない。
 食の好みも大事だが、にはもっと知りたいことがある。ドキドキしながらは勇気を出して訊いてみた。
「好きな人とかいるのかな。その……いないなら、どんな女の人が好きなのかな」
「それは分かんない」
 清水の舞台から飛び降りるつもりで訊いたのに、市子の返事は呆気ない。そこが一番重要なことなのに。
「えー?」
「秘密主義なのよ。私生活のことは誰も知らないの。少しくらい何か出てきそうなものなのに」
 市子は本気で悔しそうだ。本当に探っても出てこなかったのだろう。
 私生活が秘密とは、手強い相手である。これは食べ物からじわじわ攻めていくのが確実か。
「蕎麦から近付くしかないかなあ」
「“そば”だけにね」
「………………」
 寒すぎる駄洒落である。けれど、市子は上手いことを言ったつもりなのか、得意顔だ。
 この寒い空気を何とかしたいが、残念ながらにはその力量が無い。無言のまま、食事を再開させた。
「あれ? 分かんなかった? 蕎麦で傍に近付く、って。ほら!」
 市子は慌てて説明するが、そんなことを必死に説明されても困る。というか、説明される方が恥ずかしい。
「うん、そうだね………」
 何とも言いようがなくて、はそれだけ応えた。





 数日後、に異動の辞令が下りた。行き先は勿論、斎藤のところだ。
 きっと、市子が推してくれたのだろう。彼女には、いくら感謝しても足りない。
 市子の調査によると一筋縄ではいかない相手のようだが、とりあえず最初の一歩は踏み出せた。あとはの力量にかかっている。
 異動は、来月の一日から。まずは仕事のできる女になって好感度を上げようと、今から鼻息を荒くした。
<あとがき>
 平成万葉集から、23歳女性の作品。
 今でこそgoogle検索やyahoo!検索がありますが、明治時代は人肉捜索(人海戦術で検索するという、中国ならではの検索)か……。
 ま、どんな検索システムを使っても、片思いの相手は検索できないわけですが。っていうか、市子検索優秀だな。主人公さんより、斎藤の下で働くのに向いてるかもしれん(笑)。
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